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──さて、今年はどんな写真が撮れるだろうか。
桜花爛漫。目に映るすべてに薄桃色の彩りが添えられ浮き足立つひとびとの波は俺を容易く呑んでいく。桜に心躍らせるひとの熱気は春真っ只中のそれに非ず、ともすれば初夏のたぐいに感じられた。
俺は桜を見上げ、ゆっくりと瞬く。
俺とて桜は嫌いじゃない。毎年この季節になるとどことなく気持ちが落ち着かないのは事実だし、出掛けた先で桜を見かけると立ち寄って写真のひとつも撮りたくなる。俗に言う感情を強く揺さぶるものでなくてもいい。今年もこの季節が訪れたのだという単なる記録だ。それ以上でも、それ以下でもない。
ただ、その中で俺にはひとつ気になることがあった。
「──なんだろうな、これ」
手の内に落とした視線。その中には見慣れた画面が。
……毎年撮る写真。その端に必ず映り込む、細くほそく長い糸のようなもの。最初はスマートフォンのレンズに傷でも入っていたかと思ったがそうではない。細く黒い糸が、いっぽん。ぴんと写真の端に張っている。
最初に気付いた時には、一本だけだった『それ』。
次の年に撮った写真には糸が重なり合って画面の右隅にノイズをかけ、その次の年に撮った写真には右隅をほの黒く染めている。だんだん、だんだんと。黒は範囲を広げている。じわじわと面積を広げていくそれが薄気味悪く削除を試みようとしたが、その際には必ず「予期せぬエラーが発生しました」との文言が表示された。
写真を撮った場所や時間帯に関係はない。『それ』は静かに、だが確実に本数を増やしている。
それを感じながら、認めながらも。
俺は今年も桜を撮りに来た。
そんな気味の悪い目に合ってまで、なぜ。
それは俺にも分からない。
だが、「『それ』を写真に収めないとならない」という強迫観念にも似た思いに取り憑かれていた。
さて、今年はどんな写真が撮れるだろうか。
──くすくす。
「──っ……!?」
枝垂れ桜に向けてスマートフォンを構えると、背後でかすかに笑う女の声が聞こえた。
最初は談笑の声が風に流され聞こえてきたのかと思ったが、その声は、俺に徐々に近付いてくる。
くすくす。
「──……」
気配も、呼吸音も感じられない無機質な笑い声。
ぞわり。と、背筋にうそ寒いものを感じた。
本能的な恐怖を感じ二の腕にびっしりと鳥肌が浮かぶ──くらむような熱気に、刹那、暗澹がひとしずく落とされた。
くすくす。
「──」
声の主を確かめるため振り返ろうとするが全身が硬直して言うことを聞かない。その場に縫い留められたよう一歩も動けず、また、振り返ることも許されない。それどころか視線を動かすことすらままならない。
視線は画面に固定されている。
撮らなければ。撮りたくない。撮らなければ。撮らなければ。撮らなければ。撮りたくない。撮らなければ。撮らなければ。撮らなければ。撮らなければ。
『それ』を写真に収めなければ。
画面の中でそよぐ桜には、黒い糸が隙間なく絡みついている。それを瞬きもせずに見つめていた俺は『それ』が何であるかようやく気がついた。
背後で、女が嗤う気配がする。
『今年も会えた』
『どんな写真が撮れるかな』
『きれいに撮ってね』
『散ってしまっても』
『誰かの記憶に残れるように』
『伝えて』
『伝えて』
『忘れないで』
『どうか』
『私たちが居たことを忘れないで』
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