桜舞う午後

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桜舞う午後

〈 結 〉  古びた木製の扉を身体ごと押すように開けると、ぶら下げられたベルが意外に低い音でちりんとなる。そして決して耳触りでない、きい、という開閉音。  その向こうに広がる空間は薄暗く、しかし窓際のエリアだけは大きなガラス窓から降り注ぐ春の陽光で、眩しいくらいに明るく光っている。  暖かな風がドアの開いた振動でかすかに吹いたかと思うと、ぱたりとやんだ。一切のBGMを拒否し、一切の時計的なものを排除した場所。  その何もかもが三カ月前のままなのを確認して安心し、(ゆい)は後ろ手に重い扉を閉めた。変わらない、苦いコーヒーの香り。変わらず並べられたボーンチャイナのカップ。  そして変わらずにそのカップを磨いていたケイスケは、つと顔を上げると、小さな声でいらっしゃいませと頭を下げた。傾げるといった方が正確なぐらいかすかなお辞儀。  でもそれはこの小さくて時代遅れ気味の喫茶店に似合った仕草だった。そしてその仕草と表情で、何となく、ケイスケが私のことを覚えてくれていたことがわかった。  あたかも三カ月(それは季節を一つ越える、長い時間だと結は思うのだが)などというブランクはなかったかのように。  そんなことを考えながら結は特等席だった窓際の二人席に着いた。結の他に客は誰もいない。  額縁で切り取られた写実的な絵のように、ここからは外が見える。とはいえこの絵画は、一時も静止することを知らない。  きらきらと暖かそうな光を反射させながら、舗道沿いに植えられたパンジーが紫や白の色彩を揺らせている。すぐそこの公園から流されてきた桜の花びらが、風の動きに合わせて渦を巻いている。  かと思えば向かいのケーキ屋や雑貨屋に人が出入りする。その間の細い道を時折通る車や自転車。郵便屋さんの赤いバイク。結はここからの景色を飽かず眺める。少し前まで、習慣にしていたように。
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