桜舞う午後

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 そう言えば郵便屋さんのバイクを見るのは小さい頃から好きだったな、と結はふと思い出した。いろんな人の沢山の夢を運んでいる。そう信じていた。  今はもちろん、運ばれているのがいい知らせばかりではないことぐらいわかっているけど、それでも当時の結は信じていたのだ。  夢を運ぶ人。結は郵便屋さんにはならなかったものの、彼女もまた、夢を運ぶ仕事に就いた。でもその仕事は最近、結に手ひどいしっぺ返しをしてきた。  注文を取りに来たケイスケにカプチーノを頼む。結はこの瞬間と会計の時にしか彼と言葉を交わしたことがなかった。  結は今日みたいな日曜の午後三時頃、ぼんやりと窓の外を眺めるためか、本の続きを読むためだけに来ていたし、ケイスケの方は、おそらく彼のポリシーなのだろう、会話をしに来る客とはそれなりに相槌を打ったりするが、結のように静かに過ごしたくて来る客とは一定の距離を保つよう心掛けているようだった。  だからもちろん、ケイスケという名前も本人に直接聞いたわけではない。常連らしいおじさんに、よく「ケイスケ君」と呼ばれていたのを聞き知っているだけにすぎないのだ。  テーブルにカプチーノが来ると、結は休むことなく陽射しを送り込んでいる、大きな窓に改めて向き直った。大きめのマグに口をつけると、温かで濃厚な液体が生き物のように喉を伝った。  今なら整理できるだろうか。結は思う。この頭のなかにとっ散らかった様々な思いの断片を。やっと少し時が経って、このお気に入りの店にでも来てみようか、と思えた今ならば。  それともまだ踏み込むには早すぎるだろうか。いっそこのまま葬り去ってしまうか。いや、と結はかすかに首を振る。  葬り去ることはできないだろう。自分の頭や胸や、身体中に残る感情、怒りや侮蔑や、分類さえできないような雑多な感情を、粗大ごみの日にまとめてぽいと捨てるような真似はできないのだ。  そんなこと、今まで生きてきてよくわかってるじゃないか。
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