友達って必要なんですか?

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太陽の白い光はガラスに砕けてこのカフェの内装を明らかにする。洒落た木製のテーブルと椅子に座って朝の軽食をとる客、働いている店員、さらに店内を埋め尽くすゆったりとしたジャズ音楽。これがこのカフェの全てだ。 面白いことに、この店に来る客は皆一人で来るのだ。私もこの店に通うようになってから随分と長くなるから分かることだが、ここに来る人間は大抵決まっている。スーツを着ているサラリーマンのような男性も少し高そうな薄紫の服のご婦人も皆、この時間にいつも来店する。(かくゆえ私もその一人なのだ。) 私はこの店の空気が好きなのだ。客同士顔馴染みのはずなのに、誰一人として誰かに干渉しない。新聞紙を広げたりする老人がいれば、学生がテストの勉強をしたりする。他にも十人十色の時間の潰し方があるが、話し声は店員との会話以外に存在しない。まるで干渉すべきではないという暗黙のルールがあるかのように、客は全員自分の世界に浸っている。 私はいつも窓側のテーブルにサンドイッチを頼んで座る。窓から見えるのは石畳の大通りとレンガ造りの家、火も点かず木偶の坊になったガス燈。その数々を見てあることを考えていた。それは昨晩のテレビに出ていた人が言っていた、「沢山の友達をつくりましょう」というものだ。幼児向けなのだろうけれど、神託を受けた宗教家のように、理屈なしに、盲目的に彼らは連呼していた。道徳とかいう変な理想を押し付ける人の言葉、私はそれが異様に気持ち悪かった。 社会で生きていくなかで、他人と接していくのは義務で避けられないけれど、少なくとも「友達」なんてもんでもないだろう。自然にできればいい話なのではないか。それこそ友達100人できるかな、なんてどだい無理な話ではないか。 そうではなくとも、1人とは楽しいものだ。「ヒトカラ」などという言葉があるように、1人でカラオケや映画を観に行くことは珍しいことではないし、1人焼き肉なんてのもよくある。私にとって1人の時間は楽しいし、大切なものだ。他人に行動を強制される必要がないのは心地いい。1人でしたいことができる。それをまるで悪いことのように言われるのは悲しいものだ。その点このカフェはその私の考えを肯定するものだ。 少し時間が経つと学生らが2、3人から多くて5、6人の集団を作って登校するのが窓越しで観察できる。今の学校では集団行動が流行っているのだろうか、それならば中々に滑稽だ。戦前の軍隊の教えでもまた復活したのだろう。流石に私もそこまで馬鹿ではないが、でもやはり滑稽なのには変わりないのだ。なぜなら、あそこの人間は同じグループの他の人達に嫌われてないか常に心配してるわけだ。仲間はずれにされてないかと。私には分かり兼ねるが、それは彼ら彼女らにとって死活問題らしい。それならば、はじめから1人でいればいい。 どんな人間関係もいずれ消えていき、忘れ去られることを誰もが知っている。学生が卒業してもSNSで繋がりを継続させようとしても大半は疎かになる。だから、永遠の友情だとかそんなのは存在しないと私は思っている。(あったら私はそれをとてつもなく拒絶するだろう。) そんな脳内会議を終えると私はレジで会計を済ませる。見ると女子高生だろうか、ガス燈にもたれかかって胸を抑え呼吸を整えているようだった。 外へ出ると彼女がボソリと独り言を言っているようだった。「友達できるかな」とそんな風に言ったと思われるが、通学路らしき道へと歩き出す。私はそんな彼女に背を向け歩く、そして思う。 そうだ、今週は一人旅しよう。
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