青一点

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約束のホームで僕は30分待った。 きっと彼は来ない。 僕のお願いは聞いてくれたことがないから。 『朝までそばにいてよ』 僕に会ったあと、真夜中を待たずに彼は家へ帰る。 一緒に住んでる彼女とは、将来を共にするつもりだと聞いていた。女相手に勝ち目はない。僕の仲間はこぞってそう言った。 『引越し?』 『そ。転職するんだ。新しい会社はここからじゃ遠くなるからね』 半分は本当で半分は嘘だった。 煮え切らない彼との日々にピリオドを打ちたくて、ただ彼から離れたかった。その後に来る喪失感は、想像するだけで僕から気力を奪うことは明らかだったけれど。 ふたりで潮風に吹かれながら、僕はため息をつく。 『ここには海以外、なあんにもなかったなぁ』 『俺はよ』 彼は低く笑う。 『海と君以外ね』 仕方なく僕が言い直すと、彼は満足そうな顔をした。悔しいけど、その笑顔は今でも僕の支えだ。 『寂しくなるな』 『また口だけだろ』 『あ。セカンドパートナーって手もある』 『何で二番目よ。それにその人たちは心で繋がってるの。カラダよりココロなの』 不機嫌を装う僕の頬に、彼の手が触れた。 『だってさぁ、そんなの無理じゃん。おまえ可愛すぎだし』 そんな言葉に泣きそうになりながら、僕は用意した台詞を並べていく。 『僕とずっと一緒にいて欲しい。これが最後のワガママだから。ダメならもう終わりにしよ?』 彼は微笑みを絶やさなかったが、何も応えなかった。ただ僕の髪を優しく()く。それが彼の答えだと思っていた。 電車が動き始めた。 閉じたドアの向こうに、焦点の合わない人の群れが流れていく。スピードを上げるモノクロームの中に、見覚えのある青が鮮やかに射し込んだ。 思わず瞳ですがると、自分が愛してやまないあの綺麗な横顔を(とら)えた。 ほとんど無意識にガラスに両手をつき、彼が視界から消えないように頬を押し付けていた。やがて電車は彼から遠ざかり、全身の力が抜けた僕はドアに凭れかかった。 気がつくと頬が濡れていた。 ポケットのスマホを取り出して、履歴から彼の番号をタップした。コール音が鳴ると同時に、のんびりしたいつもの口調で彼が話し出す。 『おまえ、どこにいんの?』 またこの声が聞けるなんて。 「…ごめん、ちょっと遅れる」 『いいけど。寝坊かよ』 「君に言われたくないよ」 『そか』 電話の向こうで彼が小さく笑った。 やっぱり好きだ、この声。この笑いかた。 『俺、すっげえダサいことになってて。おまえと暮らしたいって言ったら、家追い出されたわ。会社にもバラすって。下手したらクビだな』 「…何やってんの」 『ははっ。だからもう、おまえしか残ってない』 「消去法かよ」 次の駅に着いて扉が開いた。ホームに降りて、向かい側に停まっている下りに乗り換える。 電車は彼に向かって走り出す。 『ばーか。人の話ちゃんと聞け。おまえを選んだ結果だって言ってんだろ。責任取れよな』 「知らないよ、そんなの」 嬉しくてさっきまでの涙も忘れて、僕は笑っていた。今日は僕から抱きしめてあげよう。少なからず寂しい想いもしているだろうから。 それからどうしようか。 誰も知らない街へ行こう 彼とふたりで過ごせる場所を きっと見つけよう 電車がホームに滑り込む。 彼の空色のコートがガラスの向こうに見えた。 僕の大好きな笑顔を(まと)って。
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