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花霞
その年の桜は例年になく開花が早く、満開になるのも早かった。咲き始めてから花冷えをする日があまりなく、雨もさほどに降らなかったせいだろう。
花を惜しむ鸞としては、洗濯物が乾かないとしても、ちょっと冷え込む日があって、しとしとと花を散らさない程度の雨が降ってくれたほうが嬉しかった。
4月には大学2年生になる桔梗原鸞には、血の繋がらない兄・孔明がいる。3歳上の兄は、見た目こそしなやかに見えるが、その実がっしりとした体躯を持ち、背もとうとう185㎝を超えた。桔梗原家の男子として、家訓に沿って武道全般を修めたその鋼の体格は、大凡日本人離れをしていた。生まれつき虚弱体質で、20歳になろうという男子でありながら女子のような華奢な骨格の鸞は、その広々とした背中をいつでも羨望の眼差しで見つめていた。
「鸞、洗濯物を干し終えたら、一緒に散歩に行かないか」
港区は麻布狸穴町。植木坂と鼠坂が交錯するあたりに、古く大きな洋館がある。
そこが、鸞と孔明の家であり、旧華族である桔梗原家の屋敷であった。
鸞の下には更に、年の離れた小学生の妹・亮子がおり、父・玄徳は警視庁に奉職している。その玄徳がこよなく愛した妻・美鳥は……一昨年、亡くなった。
「終わったよ、行こ!」
二階の孔明の部屋から出られるバルコニーにシーツを干し終えた鸞が、嬉しそうに頷いた。
孔明と、実子である鸞と亮子とを決して分け隔てることなく愛情を注いでくれた、あの美しく凛とした亡き母・美鳥によく似た笑顔。
この世のどこを探しても、これほどに愛しく美しい笑顔はないだろう。
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