第一章──その時は突然に

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 ──平成6年9月14日 午前8時── 「拓斗──おい、拓斗!」  肩を叩かれた拓斗は振り向いた。そこには親友の松尾和希(まつおかずき)が心配そうな表情で拓斗の顔を覗きこんでいた。 「なんだよ気持ち悪い」  危惧する和希をよそに素っ気なく返し目線をすぐに遠くへ移した。 「あっけなく夏休みも終わったな、つまんねぇな」  和希も目線を合わせベランダから校庭を見つめた。教室のベランダから校庭が一望できる。朝から野球部が元気に駆け回り白球を追いかけている。 「元気ないじゃん、拓斗」 「いや、そんなことないよ」  拓斗は多くを語らなかった。というより語りたくなかった。明らかにいつもとは違う拓斗だが、和希は余計なことと察し踵を返した。 「まぁ、それならいいんだけど。けどさっ、まぁあれだ、なんかあったら相談に乗るからさっ。いつでも言ってくれ」  教室内に消える和希。  ──相談ねっ……やめとけよ。こんな荷の重い相談なんか受けるもんじゃない──  拓斗は親友にさえ心を閉じていた。  校庭では白球を追う部員達が顧問の呼び掛けに応じ、一斉に駆け出し集合していた。もうじき朝練も終わるのだろう。教室には続々とクラスメートが集まってきた。挨拶や様々な会話が耳に飛び込んでくる。目の前では女子が二人立ち話をしている。そのうちの一人と目が合ったが意に介することはなかった。溜め息を吐く。みんな何の悩みも無さそうだ。クラスメートの顔を見ると余計に心が冷めてくる。 「もう少し時間があれば……」  拓斗は教室に背を向け手摺に身体を預けた。    ──夏休み前は俺もあんな気楽だったのになっ。あんな顔してさ。何も変わらない日々が続き平凡なものだったのに── 「時間が経っても何も変わらない。余計不安が増すだけだろ。今日から変わるかもしれないんだ。しといてか。どんな覚悟しとけってんだよ」  空を見上げ拓斗は拳を握りカツンと手摺を叩いた。痛みは拳に伝わったがこの痛みさえ、今日の不安には勝てなかった。迫る覚悟に心を酷く震わせていた。
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