第十二話 蛇か鬼か

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第十二話 蛇か鬼か

 絶望に打ちひしがれる、そんな気分だった。  もし彼女のことを知る前だったなら、どれほど孤独に(さいな)まれても、どれほど人に裏切られたとしても、それほど深手にはならなかっただろう。不快であるし、悔しさもあるだろうが、それでも仕方ないと思えただろうし、耐えることもきっとできた。しかしすでに彼女と出会い、彼女を知った。言い知れぬほど大切な存在になっている。例え現実世界で覚えていなくても、夢の世界でだけ通用する存在だとしても、もう失うことなど考えられやしない。そんな彼女を失った、それもまんまと人に騙されて。自分のバカさ加減に泣きたいくらいに腹が立つ。しかし怒りを覚えたとしても、何の解決にもならない。  僕は焦る。解決への糸口はない。何か手立てを探そうと周囲を見渡す。これ以上ないほど頭を回転させる。しかし有効な手段など何も見出せない。  更に焦って思考し続ける。そんな僕の耳朶(じだ)に、辺り一帯から亡者たちの苦悶の声が迫ってくる。僕に助けを求めている。その時ふと、そうだ、と思った。こいつらきっと豪谷(ごうや)と同じようにろくでもない奴らばかりなのだろう。しかしそれでもここにいる全員を助ければ一人か二人くらいは有効な手立てを示してくれるかもしれない。全員を助ければこの世界自体に変化が生じるかもしれない。とにかくそれしか可能性が感じられなかった。だから僕は手に鎖を出現させ、そこら辺の亡者に投げようとした。その時、声がした。 「お前の願いを叶えてやろう。他の奴らはただの亡者だ。何の力もないし、狡猾でしかない奴らだ。願いを叶えるためには、お前は俺を助けなくてはならない」  右斜め前にその子どもはいた。全身炎に包まれながら右手をしっかりとこちらに伸ばしている。焼けただれてただの空洞になっている両目でしっかりとこちらを見ている。自分の言葉に責任を持つ意志がそこには感じられた。 「さあ、鎖を投げろ。俺をここから助け出せ。ここでお前の力になれるのは俺だけだ。ためらうな。他に有効な手段などありはしない。信用しろ。わが名に賭けて約束は守る」  ただの子どもとは到底思えなかった。著しく不穏な存在に思われた。しかしそのくらいの存在でないと現状を打破できない気もする。恐れる必要はない。現状、何よりも恐れるべき事態に(おちい)っているのだ。(じゃ)が出ようが鬼が出ようが大したことではない。だから僕は鎖を投げた。炎の中、燃え盛るその子どもの手が鎖を掴んだのを認めると早速、思い切り引っ張った。  手のひらに熱が伝わってくる。すぐに引き上げられるかと思ったが、意外と重かったので更に力を込めて引く。すると焼けただれた子どもの身体は少しずつ崖を上がり、やがて業火を抜けた。それを確認すると鎖を手放し、その場に座り込んで息を整えた。そんな僕に向けて声が発せられた。 「お前の願いは、お前と一緒にいた女を救うことだな」  そう言う子どもの姿に視線を送る。見る見る皮膚が再生している。ただただ赤い。全身、血よりも濃厚な艶々とした赤が筋肉質な身体を包んでいる。服は粗末な腰巻をまとうばかり。太く縮れた髪の毛も再生し、その上には一本の角が見える。これはどう見ても小鬼である。蛇は出なかったが鬼が出た。正直、本当に願いを叶えてくれるのか半信半疑にならざるを得ない。なぜって相手は鬼である。約束を守ると期待する方が間違っていると言われそうだし、身体も小さい。能力的に無理かもしれない。しかし無視するのも悪い。他に希望もないので(わら)にもすがる思いで返答した。 「ああ、そうだ。すぐに彼女の所に行きたい。扉を見つけてほしい。門番をどうにかして扉の向こうに行きたいんだ。そして彼女を助ける。それから豪谷の奴を一発殴ってやる。そうしないと気が済まない」 「委細承知。ただ、女と一緒に扉の向こうにいった男とはもう会えぬぞ」 「どういうことだ?」意外なことを言われて思わず訊き返した。 「あの男はここの亡者だろう?ここの亡者は罪穢(つみけが)れを背負ってここに落ちてきた奴らだ。ここの炎はその罪穢れを燃やしつくす浄火なのだ。何度も何度も再生を繰り返して燃やされ続けるうちに清められる。そして完全に清められると新しい命に生まれ変わる。この世界の住人は生まれ変わる以外にここから外の世界に出ることはできない」 「もし出たら?」 「ただ、消滅するだけだ」 「……それじゃ今、彼女は一人で見知らぬ世界にいるんだな」 「うむ。恐らく」 「じゃ、早く行ってあげないと」 「承知した。ちょっと待っておれ」  そう言って小鬼は周囲を見渡した。しばらくじっと顔を突き出していたる所を眺めていた。やがてあっと声を上げて僕に視線を向けてちょいちょいと手招きした。そしてそのまま前方に進んでいき、途中から道沿い、道と同じ高さで燃え盛っている炎の方へ足を向けた。 「おい、ちょっと……」せっかく助けたのにまた火の中に入ろうとするなんて何を考えているんだ、と思いつつ声を掛けた。すると小鬼が事もなげに返答した。 「ここの炎は偽物、ただの幻影だ。熱くはないから安心してついてこい」そのまま軽快な足取りで炎の中に入っていった。  どう見ても炎にしか見えなかったし、放射熱も感じられたが、立ち止まっていても仕方がない。どうせ他に手がないのだ。行ってだめならまた他に手を考えようと足を進めた。  一歩足を踏み出した。熱が渦巻いている。思わず顔を背けて目を(つむ)った。ただ、思ったより熱くない。薄目を開けて更に一歩前に出す。まだ炎は眼前で燃え盛っている。しかし更に二歩、三歩進み出た。するとすっと炎が消えた。そして前方に鉄扉の威容が現れた。更には炎の門番の姿も。  門番の口から、ごおおという業火の起こす風の音に混ざって、威圧感のある声が聞こえてくる。 「ここから先に行ってはならない。諦めて立ち去れ」  しかしまったく臆する様子もなく小鬼が返す。 「口出し無用。通るか通らぬかは我らが決める。黙って立っておれ」 「そういうそなたは捨てられた小鬼ではないか。不具なそなたに何ができる。そなたはいらぬ存在、大人しくここで焼かれて生まれ変わる時を待て」  そう言われた小鬼の身体からぶわっと怒気が発せられた。何が起きるのか分からなかったが穏便に済むような雰囲気ではなかった。それでも門番は微動だにせず立っている。小鬼は周囲のすべてを吸い込む勢いで鼻から長く息を吸う。そしていったん止めると、頬をぱんぱんに膨らませながら一気に眼前の炎の門番に向けて尖らせた口先からふうーっと溜めた息を吹き出した。  襲いくる突風、門番たちは必死に抵抗しようとしていたが、それも虚しく吹きつける強風にはぎとられるように見る見るやせ細っていった。 「まともな身体もないお前たちがえらそうにするから、その報いだ。甘んじて消えよ」  最後に一息吹くと門番たちの姿は(はかな)く消えた。後には大きな鉄扉がでんと残っていた。  小鬼は肩で息をしていた。大きく息を吸って何とか気持ちを落ち着かせようとしているようだった。僕は何か声を掛けようかと思ったが、軽々に掛ける言葉を持ち合わせておらず、仕方なく黙っていた。ただ、豪谷たち亡者に混ざって、なぜ鬼の彼が業火の中にいたのか、気にはなっていた。それに門番たちが言った捨てられた、という言葉も気になっていた。何か訳がありそうだったがそれを根掘り葉掘り訊く不躾(ぶしつけ)は僕には備わっていなかった。しかしそんな僕の内心を察したかのように小鬼が振り返って口を開いた。 「ほら、俺には角が一本しかないだろ。だから鬼としての能力が劣る存在、不吉な存在として捨てられたのさ。ここで再生の限りに焼き尽くされればいつか立派な鬼として生まれ変われるだろうと期待されてな」  確かに小鬼の頭の右側には牛のそれのような角があったが、左側にはなかった。よく見るとほんの少しだけ生えているが気をつけて見ないと気づけない程度だった。 「さあ、のんびりしている暇はないんだろ?さっさと行くぞ」小鬼はじっと見つめられて少し照れたように目を逸らすと鉄扉に向かって足を踏み出した。  僕としては小鬼の事情はデリケートな内容だろうし、詳細を知っている訳でもないので口を出すべきではないのは分かっていたが急に、無性にその背に声を掛けたくなった。 「なあ、生きるのに角の本数は関係ないだろ。現に俺は角がなくても生きている。周囲の人たちがそれにこだわって君を排除しようとするなら、そんな奴ら君の方から無視してやればいい。きっとそんな奴らとは一緒にいない方が幸せになれるよ」  自分でも、ただ言いたいから言っただけの自己満足でしかない言葉だなと思う。何も知らないくせに、とあきれられてもしょうがない。でも、小鬼は少しの間を置いてから、ちょっと振り返って苦笑した。 「さあ、行くぞ」  小鬼が扉のノブに手を掛ける。僕もその背後に向かうが、その間、周囲から助けを求める亡者たちの声がわんわんと響いている。その内容ははっきりと聞こえないが、きっと僕たちがこの場から脱することに気づいて自分も一緒に連れて行ってくれと渾身から声を振り絞っているのだろう。そんな内容は分からなくても心から助けを求める声を聞いて無視もできず少し踏み出す足をためらっていると小鬼に急かされた。 「ここの亡者を助けようとするなよ。さっきも言ったがこいつらがここを出るには炎に浄化されて生まれ変わるしかないんだ。それじゃなければ、ここからは出られない。どれだけつらく苦しくても、それはそれぞれが抱えている(ごう)のせいなのだから、仕方のないことなのだ。決して見捨てる訳じゃない。こいつらのためにも見過ごさなくてはならないのだ」  分かった、と僕は返した。加えてもう一つ気になっていたことを訊いた。 「そういえば、君は扉の外に出ても平気なのか?消えたりしないのか?」 「あんな罪人たちと一緒にするな。俺は別に贖罪のために炎の中にいた訳じゃない。亡者ではないから他の世界への出入りは普通にできる」  そして小鬼はノブを回して、ギギギと蝶番(ちょうつがい)の軋む音を立てながら鉄扉を開いていった。
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