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0.王
伽羅の匂いが部屋中を満たしていた。
「父さん、今の幸せと四百年先の幸せとどっちが大事なの」
兄の葬式で喪主をつとめた父の顔を睨む。自分の息子が亡くなったというのに涙ひとつこぼす様子もなく、木彫りのペンダントを着物の中から取りだしてつまらなそうに眺めている。
俺は堪らず父の着物の襟を掴んだ。
「どうして何も教えてくれないんだよ……すべて【予知】できているくせに……!」
「……お前も『王』の力を継承したらすぐに分かる。ほんの数年、数十年の幸せなんてなんの意味もないことを……お前もわたしも運命からは逃れられないんだよ」
「母さんが死んだ時もなにもしなかったくせに……この人でなし……!」
「お前がわたしの立場だったとしても、母と兄を見殺しにしただろう。手を離せ。着物が崩れる……」
思わず拳を振り上げ、父の顔を殴っていた。
「俺は絶対に見殺しになんかしない! 家族も、名取村の人たちも俺が守る……もし、もし俺が王になったら……みんなを守れる王になる……誰も犠牲にならなくてすむように」
父は殴られた頬を赤く腫らせ、眩しいものを見つめるような目をして「そうか」と言った。
それから親子の間で会話が交わされることはなかった。
数年後、父は六十五歳で自身の予知通り名取川で溺死し、王の力は息子の俺に継承された。「王」は四百年先の未来まで予知する力を持ち、我妻一族の男児だけが代々継承する。
八月十三日、名取村に新しい「王」が誕生した。
その日、王になった俺は父が見ていた未来をすべて継承した。父が墓場まで持っていった【予知】の内容を知った途端、胸に芽生えたのは使命感などではなく、この世に生まれてきたことへの後悔と未来への大きな恐怖であった。
[1836.8.13 ダイケン 名取川ニテ溺死 ヨウメイ 王ヲ継承 2236.8.13 キミカ 我妻と邂逅ス]
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