彼の知らぬ、若き殺意

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彼の知らぬ、若き殺意

02110a06-5108-431a-a797-90ed59fd2009  今夜のテルは、すこぶる機嫌がよろしくない。原因は着ているスーツだろう。それなりの時間、ガタイのいい肉体をスーツに押し込めていたようである。  バーの店にはいってきた途端、他に堅気のお客がいるのもお構いなしに、乱暴にスーツの上、ネクタイ、ワイシャツ、下、と自らの体からはぎ取っていった。いつもなら隣には(あきら)がいて、テルが次々と脱ぎ捨てていったスーツ一式を、まるで長年連れ添った妻の如く、皺になる、と文句を言いながらかき集めている。  今日はテルひとりのようだ。  お客さんに、すいませんね、と目配せで謝罪しつつ、バーの奥へ。常備していた上下黒で統一した身長百九十の体型でも余裕のある服を渡してやる。それと、レンズ薄めでわずかに瞳が透けて見える、サングラス。(うえ)(かわ)(たく)()として着用していた銀縁の眼鏡を外し、もはや自らの体の一部と化したそれを、薄暗い店内にも関わらず、当たり前のように、身につけた。  全ての着替えをすませたあとはもう、飲む酒、飲む酒のピッチが早いのなんの。スツールふたつほど間をあけて座っていたお客たちも皆呆気にとられている。そんな動作を一時間以上。顔色ひとつかえず、途中トイレへ席を立つ足取りもふらつかせることなく、一見するとシラフにもみえる状態をキープしていた。  テルを除いたお客が帰っていき、バーの中は、マスターとテルだけになった。 「今日は、輝と一緒じゃないんだな」  堅気の皆がいなくなれば、堂々と同業者としての話もできる。  テルが、ただでさえ目つきの悪い顔に、そこらの半グレだってチンピラだって震え上がる貫禄ある目つきで睨んできた。眉間の皺は深く、濃い眉が逆ハの字になる。 「ガキのころだって面倒くさかった奴を、なんで三十八になっても連れまわさなきゃいけねえんだよ」 「もうそんな歳になるのか。輝も」 「あいつのガキだってもう十六なんだから、そんなもんだろ」  輝のガキ。あの坊やか。母親にそっくりで、テルほどではないにしろ、なかなか凛々しい顔つきをしていた。 「自分の歳は忘れても、輝の歳は正確におぼえてんのな」  また睨まれた。  輝といえば。 「ケンのこと、おぼえてるか」 「誰だ」  殺し屋がこれまで殺してきた奴の顔なんて、おぼえてないか。テルのような、今まで数々の始末の依頼をうけてきた優秀な殺し屋なら、なおさら。 「輝がまだガキのとき、お前が殴り殺した男だよ」  輝がまだ小学校にあがる前、もう三十年以上前の話だ。  当時、テルは幼い輝と、マスターを含めた数人の同業者と、古めのアパートで同居、いまでいうルームシェアをしていた。入学の決まった輝の小学校から近い、という理由で、テルが偽名を使い、借りていた場所だ。  これまで、テルは特定の場所に居着く、ということをしなかった。組織に属さず、あちらこちらで、自由気ままに、身軽に依頼を受けられるように。この頃から、テルはフリーランスで、優秀な殺し屋として、そのテの依頼に事欠かなかった。  だが輝という子どもつきだと、なかなかそうもいかなくなった。輝がどういう経緯で、テルの前にあらわれ、テルといっしょに行動するようになったかは、詳しくは誰も知らなかった。ただ輝が、他の同業者の連中より、誰よりテルに懐いていた、というかテルの後をついてまわっていたのは確かだった。動物の、生存本能というやつだろうか。周りにいる誰より、テルが一番強い奴だということが、輝にはわかっていたのだ。このひとと一緒にいれば、少しは長く、生きていることができる。そう思ったのかもしれない。  最初は、そのアパートに住んでいたのは、テルと輝のふたりだったが、そのうち、同業の何人かがその日暮らしのねぐら代わりとして、ふたりのアパートを利用していた。マスターも、そのひとりだった。  その同居人のなかに、ケンという男がいた。推定二十代くらいの。いえば、業者のつかいっぱしりだ。殺しそのものには手をださなかったものの、標的の調査、尾行、依頼遂行中の見張り、依頼遂行後のあとしまつ。依頼の報酬、その何割かの金を手に、なんとかその場しのぎで生きている。そんな印象だった。  仕事ぶりそのものは真面目で丁寧だった。どんな汚い面倒な仕事も文句ひとつ言わず引き受けていた。これなら堅気として、普通の生活もできたのではないか。なんでこの裏の業界に転がり込んできたのか不思議なくらいだった。  あとで調べてわかったことだが、ケンには逮捕歴が、前科があった。それくらいは別に不思議なことではない。多かれ少なかれこの業界には、脛に傷をもつ人間などいくらでもいる。マスターだって、暴行、恐喝などで、多少警察のお世話になったことくらいはある。  だが問題は、ケンが逮捕される原因になった前科の内容だ。  小児性愛。いわゆる小さな子どもにたいして、性的興味があった。それも女の子ではなく、男の子の方に。何度か幼い男児を人気のない場所へ連れ込み、いわゆるわいせつ行為をはたらいて、それが原因で、ケンは前科者になった。  ひとの性的趣向は、どうしようもない部分もあるのかもしれない。狙われた被害者には申し訳ないが、外で勝手に発散する分には、再び警察に目をつけられなければ、特に咎めることもなかった。  だがあろうことか、ケンは輝に手をだそうとした。輝がケンになんの警戒心も抱いていないことをいいことに、ケンは輝に近づいて、顔、上半身、となめるように触っていた。  輝はその時のことを、なにひとつおぼえてなどいないだろう。ケンの行為は未遂に終わった。テルが、力ずくで、ケンをとめたからだ。  力ずく。言葉ほどなま易しいものではなかった。テルが、ケンを輝からものすごい勢いでつきはなしたかと思うと、テルはケンを殴りつけた。その手加減のなさに、テルのただならぬ殺意を感じて、マスターはまず、輝を抱えてその場をはなれた。いつかはテルとともに殺し屋として成長していくのだとしても、小学生にもならないうちに殺しの現場を見せてしまうのは、まだ時期尚早だとおもった。  輝を抱え、手で目隠しをした状態で、マスターは首を伸ばし、背後の状況を確認した。 「テルやめろって!」  同居人ふたりの制止を、それこそ力ずくでおしのけて、テルはただケンを、執拗に殴り続けた。  ああテルは、ケンを殴り殺す気なのだ。  こうなってしまったら、もう誰もとめることはできない。マスターも加勢して三人がかりになったとしても、最悪テルは三人とも、まとめて皆殺しにしてしまうかもしれない。  そう感じてしまうくらい、テルは殺気立っていた。  こんなテルの姿は初めてだった。いつどんなときも基本冷静で、殺しの依頼のあいだでも、あそこまで感情むきだしに、返り血もお構いなしに、標的とむきあったりはしない。  やがてケンが、血だらけで、動かなくなった。テルはケンの返り血で汚れた衣服を全て脱ぎ捨て、ケンの死体の上に放った。下着一枚で、一度奥の部屋へ引っ込む。いつもの、上下黒の服装でこちらへむかってくる。  マスターの腕から輝を奪うようにして抱き抱えると、無言でアパートをでていった。  その時になって、マスターもようやく腰をあげた。  テルをとめようとした同居人ふたりは、しきりに顔を押さえてうずくまっていた。テルに殴られ、鼻の骨でも折られたか。気の毒なことだ。  せめて信頼できる医者でも、紹介してやろうか。  のちにそのアパートは、ケンの死体とともに同業者によって回収、解体された。  昔話を終え、喋ったマスターも喉の乾きをおぼえ、酒をひとくち飲む。 「不謹慎な言い方かもしれんが、あの時のお前を見て、初めて、ああこいつも人間なんだなっておもったよ。輝のために、お前なりに、本気でケンに怒った。父親が子どものために、って感じで。まあ怒ったなんて言い方にしては、かなり乱暴すぎたが」  テルは特に反応なし。ノーコメント。ただ黙々と、グラスをかたむけ続けている。入店時と変わらず、不機嫌そうに。  今夜は、テルの機嫌が悪い。もしあの時みたいに、ここで力のままテルに暴れられたら、マスターだってとめられる自信はない。店内もマスター自身も、ただじゃすまないだろう。  今夜はこのまま、好きに飲ませてやることにしよう。
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