卒業と仲直り

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卒業と仲直り

「三年五組、花ノ宮 蛍」 「はい」 「本日付けで卒業を認める。おめでとう」 「ありがとうございます。」 三月も終わる頃、春休みに入っている学校は時折教員の話し声と遠くのグラウンドから聞こえる部活生の声が時折響くだけの静かな空間。 そんな校内の一室、校長室で花ノ(ハナノミヤ)(ホタル)一人だけの卒業式が執り行われていた。 参列者は両親と姉、兄が二人それから、いま証書を手渡してくれた校長先生と担任、数名の見覚えのある先生たちだった。本来出席するはずの卒業式は一週間ほど前に終わっている。 生まれつき体が弱く病気がちな蛍は卒業式を間近に控えた二月、ちょうどバレンタインの話題で周りが浮き足立つ頃に風邪にかかってしまった。冷え込む時期であるし、そこまではよくある事でまずは回復第一と普段通り安静にしていた。 悪かったのはそこからで今回の風邪はなかなか治る兆しを見せず、寧ろ日に日に体の怠さや咳も酷くなっていく。気づけばそのまま肺炎まで悪化して入院する事になってしまった。 ようやく退院できたのが数日前で、遅れてしまったがこうして卒業証書を受け取ることができた訳である。 「おめでとう、蛍」 母に似た、ふわふわといった効果音が似合う微笑みを見せ蛍を呼んだのが一つ上の兄で(ソラ)。 身内贔屓とかではなく、我が兄ながらよく出来た人だと蛍は思っている。 大抵の事はそつなくこなすし、人当たりもいい、何より母譲りのあの花が綻ぶ、と言った言葉がよく似合う笑いは何度も向けられてきた蛍でさえ綺麗だと感心してしまう。 「ん、ありがと」 その顔をみるといつも釣られて自分まで口元が緩んでしまう、と蛍も笑って返す。きっとそれは空の周りの人皆がそうなるんだと蛍は信じて疑わない。 「おめでとう蛍!ゆっくりしたい所だけどこのバカ両親連れて帰るよ!」 そう言う彼女は唯一の女兄弟で一番上の姉の(ナゴミ)、歳は四つ上で丁度成人の歳になる。 肩口に切り揃えられた黒髪に赤のメッシュを入れていて、背も高く顔立ちも凛々しいため初対面だと少し怖く見えるというのが彼女の印象。 実際そんなことは無く性格、物言いこそサバサバというかハッキリとしているが俗に言う「コミュ力が高い」というものだろう、分け隔てなく接する物怖じのしない性格ゆえに友人も多く親しみ安い方だと蛍は思っている。 そんな姉の言った「バカ両親」とは紛れもない兄弟たちの両親で、現在和の隣で子供のように泣いていた。 「ほら、父さんも母さんもちゃんと立って」 和に縋り付くように立っていた両親は空に促されてハンカチは目元に当てたままだが、どうにか自力で立ち直す。 「誠さん、蛍ちゃんが、蛍ちゃんが……うぅ……」 「あぁ、良かった。頑張ったなぁ蛍」 感情表現が豊なことだが母親のその言い方だと、何も知らない人が聞いたら身内に何か不幸があったと思われるのでは無いか。祝いの席で割と洒落にならない。 両親と言えど泣き崩れるまでは大袈裟なんじゃと思われるかもしれないが、別にこれは蛍が虚弱体質だからこうなっている訳では無い。両親共に、実の子供である兄弟から見ても相当な親バカなだけである。 直近で言えば、数ヶ月前にあった和の成人式でも会場の誰より号泣しており会場の新成人を撮りに来たテレビスタッフも流石に避けて歩いた、といえばどれ程か伝わるはずだ。名も知らぬスタッフの英断で泣き崩れる両親を全国に晒さずに済んで安心したのを覚えている。 「うん、そうだね。だから早く帰って蛍のお祝いしよう?」 『する!!』 毎回、こうして両親を落ち着かせ軌道修正するのは空の役目になっている。兄弟で一番この手の誘導が上手い。 その発言ですっかりお祝いムードになった二人は丁寧に先生方への挨拶を済ませた。蛍も改めてお礼を言ってまわり最後、校門まで見送りに来てくれた先生たちに会釈をして家族で家路についた。 家までは蛍の足で十五分二十分くらいの距離になる。今日は久々に外に出たからと運動がてら歩いて帰る事になった。 「帰るよって先陣切ったのは私だけど、ほんとに良かった?」 蛍が未だに両親の相手をしたり流したりしている空の少し後ろを付いて歩いていると、タタっと隣に並んだ和が蛍の顔を窺うように聞いてきた。 「何が?」 「もうちょっと話してたくなかったのかなーって」 確かに、三年間お世話になった身としてはそっけなかったかとも思う。 早く帰りたい理由がある訳でもない、ただ蛍には長く話せるほど学校での思い出が無いだけだ。勿論、休みがちな自分のために色々としてくれた先生たちへの感謝は沢山あったのでしっかりと伝えてきたが。 「うん、大丈夫」 「そっか」 普段、心配するような素振りは見せないが時々こうやって和は声をかけている。 両親や他の兄弟ほど分かりやすくは無いが、彼女なりに末の弟を可愛がっているつもりだ。 周りの思っている姉へのイメージとは違うんだろうなと蛍は少しおかしくて小さく笑った。 歩き始めて五分ほど、蛍には今日家を出てから気になっていることがある。 「……ねぇ、優くん?」 「なに」 蛍はまただ、と何も言えず下を向いてしまう。 今朝からずっと、話しかければ返事はくれるが顔を見せてくれない。いつもならちゃんと目を見て話を聞いてくれるのに。 (ユウ)は蛍の双子の兄弟。双子と言えど二卵性なので見た目はあまり似ていないが、そんな優とは蛍も家族の中でも特に一緒に居る時間が長い。学校に行ってる時間以外は蛍と一緒にいて休んだ日の勉強を教えてたり、それが終わればゲームをしたり、何も無くても隣に居る。 だから、いつも優しい双子の兄の機嫌が良くないのは自分に原因があると蛍は思っていた。でも、自分は何をしたんだろうか、俺は何を謝ればいいのかと、目の前で風に吹かれて渦を巻く桜の花弁を見つめる蛍は朝からずっと考えている。 それでも何も分からないまま、地面とにらめっこしながら歩いていると見慣れた我が家に着いていた。 「ただいまー」 「はーい!みんなお帰りなさい!」 すっかりニコニコに戻った母と、同じような顔をして今にも歌い出しそうな父。 二人とも帰るなり早速キッチンへと向かった。もうお祝いの準備に取りかかるらしく、春らしい若草色のエプロンを纏っている。 「何か手伝おうか?」 「今日は蛍ちゃんが主役だからいいの!ゆっくりしてて」 「そうだ、蛍も優も入寮の準備は済んだのか?」 「あ、まだだった」 優も首を振っている。 それを確認すると少し寂しそうではあるが優しく笑って二人を促すように声をかけた。 「早く済ましておいで、明日には寮に入るんだから」 「はーい」 と言うのも、蛍は優と同じ学校に進学する事になった。ちなみに空も去年からその学校に通っており、一年の後半から風紀委員として忙しくしているらしい。 そんな空も春休みに入っているので一時帰宅が出来ているが明日二人と一緒に寮へと帰る予定だ。 学校の名前は「榎本学園」小中高一貫、私立の男子校で全寮制になっている。編入試験はかなり難しかったが蛍も優も普段の努力が功を奏し、かなり良い点数で合格できた。 そして、その学園への入寮日がいよいよ明日となっている。が、そのための引越し準備がまだ終わっていなかった。 とは言っても寮の部屋に大体のものは揃っているようで、詰めるものも着替えや教材、趣味のものが中心になる。 二人はお祝いの準備が済んでしまう前に終わらせてしまおうと、それぞれの部屋に戻って荷造りをはじめた。ダンボールに着替えを詰めながら、蛍はちらっと壁の向こうにある優の部屋を見て明日起きたら、いつもみたいに笑っててくれたら良いのになと都合のいい事を考える。 いつも一緒にいる分いまが少しだけ心細く感じてしまう。 やっぱり分からないなら本人に直接聞くしかないよね、とそんな事を考えながら黙々と作業を続けていると必需品はあらかた詰め終わった。あとは、 「パソコン、漫画とその他諸々……」 窓のない壁には全て備えられた本棚に所狭しと並べられる本や漫画、寧ろ入り切らず床に積まれているものもある。 全部は持っていかないとは言え持ってきたダンボールに入り切るか心配な量。特に漫画が多い。 昔から家で遊ぶことが多かった蛍がハマったのは、必然というか漫画やアニメだった。 幼い自分が喜ぶのをみて両親が山のように色々買い与えてくれたのを思い出す。今では割と落ち着いたが、それでも新刊が出る時期になると「そろそろだったわよね!」と何故か本人より発売を心待ちにしている様な姿をよく見る。 流石に全ては無理だったが、幼い頃買ってもらった物もいくつか残っていて、そこから更に年数を重ねる度に数が増えていったので現在それなりに量がある。 さて、ここからどう厳選して持っていこうと気合を入れながら蛍は選別を始めた。 ---5分後--- 「これも持っていきたいし。これも時々読み返したくなるんだよなぁ……」 ---更に10分後--- 「あ!これ懐かし〜、好きなセリフあったんだけど、この辺だったかな……」 ---更に更に30分後--- 「あー!面白かった!……やっちゃったよ」 自分を中心に無造作に積まれた漫画やDVD、端に寄せられた空のダンボール。 当初の目的を完全に忘れていた蛍は読み終わった漫画を手にしたまま暫く固まっていた。 漫画に限らず、本が好きな人なら誰しも経験のある事だろう。 「いやいや、引越しの準備してたんでしょ?」 クスクスと笑う声のほうを見れば、いつの間にか扉を開けて壁に肩を預けるように空が立っていた。 そのはずだったんだけど、と言うように蛍も眉を下げ笑う。 「うん、そうなんだけどね」 「ちょっと散らかっちゃったね」 「わかっててもつい読んじゃうんだよ」 「なら、優に手伝って貰ったら?監視役も兼ねて。俺も、って言いたい所なんだけど、これから買い出し行かないといけなくて」 手にした財布をチラつかせる。お祝いの追加食材を頼まれたらしい。 ごめんね、と軽く謝られたそれに大丈夫だよ、と返す。 でも優くんか……、と蛍が困った顔をしていたらそれを見た空も同じ様な顔で笑った。 「優はまだ拗ねてるのか、相変わらずだね」 「拗ねてる?怒ってるんじゃなくて?」 「怒っては、ないと思うよ。なんで拗ねてるかわかる?」 どうやら怒っている訳では無いようだと蛍は少し安心した。 かと言って拗ねている理由が分かる訳では無いので首を横に振る。 積まれた本の山に視線を移しなにか考える様な素振りをした空は、散らかった箇所を避け部屋に入ってきた。蛍の目の前まで来ると床に座ったままの蛍に目線を合わせるようにしゃがみ込む。 「うーん、俺が言うのもなぁ。本当にわかんない?」 こてん、と首を傾げて問う空に釣られて無意識に蛍も同じように首を倒していた。 思い当たる節はないかと頭をひねる。今朝から様子がおかしいのだから昨日までに何かあったはずだと、最近何か変わったことをしたか記憶を辿っていくと、唯一思い当たることが 「あ、」 「お、分かった?」 「同じ学校行くことギリギリまで内緒にしてたから?」 「言ってなかったの?!」 「びっくりさせようと思って……」 「ちなみにいつ伝えたの?」 「試験の前の日、会場行ったらバレちゃうしその前にと思って」 「それであの点数……いや、蛍来るって分かってたらやるかぁ」 「これかなぁ、思い返せば試験の後くらいから優くん素っ気ないし」 「うん、まぁ流石に前日に言われたら驚くよね。悪いことしたなぁって思ってるなら、ちゃんとごめんなさいしてきな?」 最後に促すように蛍の頭を撫で空は部屋を後にした。 確かに、前日は急過ぎたかなと考えながら蛍も腰を上げる。 部屋の扉は蛍がすぐ出ると分かっていたのか開けたままになっていた。よし、と部屋を出て数歩もしないうちに優の部屋の前に着く、隣の部屋なので当然だ。 優の機嫌を損ねたのがこの事で合っているかわからないが、少なくとも今思えば試験前日に動揺を誘うようなサプライズはどうなんだ、という事には気づいたのできちんと謝ろう。 扉をノックする。 「優くん、入っていい?」 「駄目」 「え、」 初めて断られた。 機嫌がよろしくないとは言え部屋には入れて貰えると思っていたのに、もう顔も見たくないほど嫌われてしまったんだろうか。どうしようと扉の前でノックした手を下ろす事もできずにいた。 すると中からバタバタと音が近づいてきてドアノブが回った。 「うそうそ、嘘だから!俺が虐めてるみたいじゃん」 部屋から顔を出した優はバツの悪そうな、少し焦った顔をして引き止めるように蛍の腕を引いた。 驚いて目を丸くしたが蛍は逆らわず、引かれるままに部屋に足を踏み入れる。 「普通に入っていいから、何?どうしたの」 引かれた手は離されないまま、でもやっぱりいつもより何処かぎこちない。 すうっと息を吸って優を見る。 「謝ろうと、思って」 「何を?」 ただでさえ怒られたことも怒ったことも無い、甘やかされて育ったと自覚のある蛍なりに覚悟を決めて来たものの、既に自分の部屋に戻ってしまいたくなった。 だが、今ここでそれをしてしまったらもっと距離が出来てしまう気がして、蛍はまだ腕にある優の手に空いてる自分の手を重ねて再び口を開いた。 「色々考えたんだけどね、俺が試験の前の日に同じ学校に行くんだって言ったから、優くんもびっくりして試験手につかなかったんじゃないかって。本当は空くんにもね、ちょっと手伝ってもらって考えたんだけど、これ以外思い当たらなくて、優くん点数良かったし違うかなって思ったんだけど学校でもこのままは嫌だから、だからごめんなさい……違ったら教えて欲しい、もうしないから、あのだからね」 「ちょ、長い長い、わかった、わかったから!微妙に的はずれな事謝ってるのは置いといて、そもそも怒ってないし」 的はずれ、との言葉に喋りながら段々落ち込んでいた気持ちが更に落ちてく感覚がしたが、怒ってはないと言われ全て消し飛ぶ。 「はぁ……俺もごめん。虫の居所は悪かったとは言えそっけなかった自覚はあるし」 手を離されたかと思えば、背にそっと手を回され抱きしめられる。そんな間は空いてなかったはずなのに既に懐かしく感じて、自分でも気づかないうちに強ばっていた体から無駄な力が抜け優の腕の中で息をついた。 「榎本来るって聞いた時は本気で嬉しかったよ。蛍なら受かるし、でも俺言ったじゃん?」 自分も優の背に腕を回していると、腕に収められたまま片手を頬に添えられ瞳をのぞき込まれた。額のくっつく距離だがどちらも気にしない。 言ったこと、と蛍は再度記憶を辿る。 「……あ、考え直さない?って言ったやつ?」 「そう、なんと言うか……まぁ、あまり治安が宜しくないし狼だらけだし」 うんうん唸りながら何やらまくし立てる優。 無口という訳では無いがあまり一度に喋る方じゃないのに珍しい、と蛍は優に問う。 「私立の学校って狼も飼ってるの?すごいね、でも通ってるのみんな大っきい家の人なんでしょ?そんな素行悪い人なんているのかなぁ」 「素行っていうかまぁ、そこはもう大丈夫。俺と空でどうにかするって割り切ったし……ところで蛍、」 「ん?」 「狼、見たいの?」 輝きを増した眼差しが優を真っ直ぐに見る。 「飼ってるならさ、オレあれやってみたい、飼育係!」 「そっか、てかどうせまだ片付け終わってないんでしょ?俺もすぐ行くから先行ってな」 「そうだった、ありがと優くん!」 蛍は優をもう一度ぎゅっと強く抱き締めて早足に部屋から飛び出した。 まだ何かしら問題があるらしい素振りはあったけど優くんが大丈夫と言うなら大丈夫なんだろう、と軽くなった気持ちで自室へ戻った。それより今はまた元に戻れたのが嬉しくて、室内でスキップでも踏んでしまいそうなくらい分かりやすく蛍は浮かれていた。 蛍がパタパタと部屋から出て言ったあと、優はため息をついてキャスター付きの椅子に腰掛ける。勢いをつけて座った椅子からはギィと軋む音がしたが気にしない。 「久々にやったなぁ」 ほとんど息を吐くだけの声量、蛍には聞こえてないだろう。 「でも俺もまだ蛍とひとつ屋根の下続行したいし、空も居るし、意地でどうにかするわ、やってやる」 言ってること完全に欲丸出しだがその目は完全に据わっている。 よし、と膝を叩いて気持ちを切り替え、蛍の元へ向かおうとするが「あ、」と呟き机に伏せられたスマホに手を伸ばす。 メッセージアプリを開きトーク画面、上に固定してあるのは空と蛍。 空の方を選ぶと文字を打ち始めた。 『学校で狼って飼える?飼育係あるかって蛍が目キラキラさせてんだけど』 『仲直りできたんだ、良かったね。狼かぁ、人馴れした個体かハスキー犬とかで納得してくれるかな。まあ、どうにかするよ』 買い出しに出ているはずがレスまで数秒、家族以外の全ての通知を切っている男の本気である。良くやるな、と思いつつ特に返事は返さずスマホはポケットへ、蛍念願の飼育係もどうにかなりそうだしと今度こそ蛍の部屋へ向かった。
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