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王城で侍女の仕事をこなし、令嬢たちに遠巻きにされながらも一部の仲良くしてくれる方々となんとか会話を続ける。
休みの日は公爵家の庭を一生懸命雑草むしりをする。
アイノの日々は慌ただしくも、少しだけ優しいものになった。
ヴィルはアイノが庭仕事に明け暮れていると、大概素敵なものを持ってきてくれたのだ。
今日持ってきてくれたのは、つばの広い帽子だった。
「お疲れ様。今日は日差しが強いから、帽子をかぶったほうがいいよ」
「ありがとうございます……でも私、これくらいの日差しでしたら、いつもお仕事に明け暮れていましたよ?」
「そういえば、君はずいぶんと肌が強いようだね?」
「私の故郷ではこれくらいの日差しは当たり前でしたから。日差しを避けたほうが体力が落ちないことは知っています。ただ、今終えないといけない仕事は帽子をかぶらずに全部終えてしまったほうが効率がよかったですから」
「なるほど、そんな考えもあるのか」
ずっと続けていた雑草抜きもやっと終わりを迎え、いばらの刈り取りをはじめないといけなくなった。
「ひとりでしていたら、雑草を抜くだけでいつまで経っても終わりませんでした。ヴィルさんのおかげです。本当にありがとうございます」
「いいけどね。アイノの手も綺麗だ。それでいい」
「でもいばらはどこから切ればいいのか。どこもかしこも棘だらけで」
「いっそのこと、なたで一部を刈り取ってからハサミで切っていったほうが早いかもね」
「……でもこのいばら、まだ生きてるんでしょうか」
「瀕死だから、ちゃんと絡まっている部分を切って、生きている部分を陽の光に当ててやればちゃんと花を咲かせるとは思うけど。とりあえずどこを切ろうか」
ヴィルは本当になたを持ってくると、いばらの蔦を切りつけて、乾いている蔦を雑草と一緒に捨てはじめた。
表面の部分はもう枯れたまま絡んでいただけだったが、それらを全部棘をよけながらかき分けると、たしかに無事な部分が出てきたのだ。
まだ若くて緑色の部分を見つけたときには、アイノは歓声を上げた。
「ありがとうございます! すごいです!」
「そこまではしゃぐことじゃないよ。誰かが手遅れになる前に手を付けていたら助かったんだから」
「でも、私ひとりでは雑草を抜くのに手いっぱいで、いばらの蔦にまで手が回りませんでした。本当にありがとうございます!」
「君は本当に可愛いね」
ポツンと言われ、アイノはキョトンとした。
ヴィルのことはなにもわからない。アイノが困っていたらひょっこりと現れて、悩みが消えたらいなくなる。
恋人ごっこと言っても、タルヴォがしているらしい激しいことは一切せずに、ただ庭の手入れをして、一緒にしゃべり、庭に誰もいないのを確認してから、ふたりで離れでお茶を飲む。それは王都で行われていると聞く激しい愛憎模様とは程遠い、凪のように穏やかな日々だったのだ。
アイノはヴィルを見つめる。
「あなたは、だあれ?」
「……君のことは、必ず助けるから」
それだけ言うと、ヴィルはまたしても忽然と姿を消してしまった。
アイノは訳がわからないまま、ただ残されたつばの広い帽子をぎゅっと抱き締めた。
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その日、侍女の行儀見習いの一環として、王族の使う部屋の清掃をしていた。なにも私室や寝室だけではなく、サロンに使う一室に書斎まであるのだから、その仕事は細かい。
どうにか仕事を終わらせたところで、近衛騎士団が庭を通っていくのが目に留まった。
日頃公爵邸の本邸に住んでいるタルヴォは、離れを宛がわれたアイノに滅多に会いに来ることがない。
ときどき庭の雑草が減っているのに気付いた彼が「なんだ、本当にしていたのか」と意外な声を投げつけるばかりで。
アイノは彼がいるだろうかと何気なく目で追っていて、気が付いた。
タルヴォはあからさまに腰を抱いている女騎士がいるということに。日焼けしている肌こそアイノと同じだが、自信に溢れた瞳、騎士の任務で鍛えたであろう豊かな体躯はアイノにはないものだった。
そしてタルヴォはアイノの視線に気付くと、ニヤリと笑ったことに、アイノは背中に冷たいものが走った。
(……今、婚約破棄されたら困る)
好きではない。しかし自分が破談に追い込まれてしまったら、故郷が死んでしまう。
アイノは小刻みに震えている中、そのタルヴォはあからさまに行儀見習いたちがそれぞれの作業を終えた頃合いを見計らって、彼女の元にやって来たのだ。
「やあ、アイノ。今まで虫除けご苦労。今こそ解放しよう」
「それって……」
「破談だ。婚約破談だ。父上にも話を付けてきた。よりいい婚約相手が見つかったら断れる条件だったからな」
「そんな……」
「だいたい子爵の立場の君が、公爵と婚約できるかもしれないという夢を見られたんだ。もっと光栄だと思って欲しいがな」
言っていることは無茶苦茶だった。周りも気の毒なものを見る目を向けてくるが、誰もかれもがタルヴォに「横暴だ」と苦言できるものがいなかった。
たとえ横暴でも。たとえタルヴォに問題があったとしても。騎士家系出身であったとしても。今の彼は次期公爵であり、そんな彼に意見できる人は限られたのだ。
「だったら、僕が彼女をもらい受けようか」
唐突に声がかけられた。
聞き覚えのある声に、アイノは目をパチリとさせた。
普段見覚えのある彼は、作業服を着ていかにも野暮ったい格好をしていたが、今は違う。
レースのあしらわれたシャツの上に金糸の刺繍の施されたジャケットを羽織り、颯爽と歩いている。
「なんだ貴様は」
「おやおや。公爵家の坊ちゃまは、本当にろくな教育を受けてないんだねえ?」
ヴィルは皮肉を込めてタルヴォをせせら笑うと、タルヴォは鼻筋に皺を深く付けて「なんだと!」と吠える。
その中で、行儀見習いをしていた誰かが呟く。
「……まさか、殿下?」
「殿下?」
「でも……たしか殿下は」
ところで。この国では、王族は成人しない限りは社交界には滅多に出てくることがない。
行儀見習いとして王城で働きはじめた者たちすら、国王以外の王族は妃すらほぼ目にすることがなかった。
暗殺対策とか、王族は下々に滅多に顔を合わせるものではないとか、様々な揶揄が飛び交う中、嘘か誠かわからない話が流れていた。
王族が玉座を継がない限り滅多に姿を現さない理由。
それは平民や使用人のふりをして各地を歩きまわり、貴族の行いを見定めているためと。
平民だからと横柄な態度を取るものはその内怠惰を究める。王族と気付いた途端にごまをすりはじめるものはその内賄賂に走るようになる。
行儀見習いたちの日頃の言動を眺め、観察し、そのあとの土地の拝領没収に役立てるのだと。
アイノは目をぱちぱちさせた。
「ヴィルさん……?」
「ああ、失礼。アイノ。僕の本当の名はヴィルヘイム……この国の王子であり、きな臭い噂の付きまとう公爵の調査をやっと終えたところでねえ。公爵家には開拓地を拝領してほしいと思ったのだよ」
そうにこやかに告げられたタルヴォは、顔を引きつらせる。
要は陸の孤島に島送りだと言っているのだ。ヴィル……ヴィルヘイムは穏やかな言葉を続ける。
「公爵は元は騎士であり、武勲を立てたから貴族に取り立てて国をよりよくしてほしいと思っていたのに。君のお父上は少々権力に固執し過ぎたようで残念だ。そして君も借金をカタに女性たちに好き放題していたようだしね。これ以上は隊の規律が乱れるものの、公爵家の跡取りに下手なことができないと近衛騎士団からの苦情も来ていたんだ」
「……貴様、ここで俺に恥をかかせるというのか!?」
「誰が恥をかかせたのかな? そもそも君は恥を知らないから、今まで淫蕩にふけっていたんだろうさ。せいぜい開拓地で汗をかいて、その腐った根性を叩き直したまえよ」
こうして、タルヴォとアイノの婚約は破談され、公爵家の領地は一旦国に没収された上で、新たに拝領された開拓地へと移されることとなったのだが。
アイノは困り果てた顔で、ヴィルヘイムを見た。
「あのう……私に殿下の妻は務まらないと思うのですが。たしかに今、私は行儀見習いをしていますが、妃教育なんて、さっぱりで……」
「でも君は故郷が好きだろう? ハリケーンの復興中の君の故郷に視察に出かけたことはあるよ」
「あ……あのう……危なかったと思いましたが、大丈夫でしたか?」
「……君は本当に、いつも人の話ばかりだね。君は被災地で笑顔で領民たちを励まし、炊き出しをしているのを見たさ。そんな君がいいんだ。僕は君をもらい受けてもいいかな?」
アイノは目を閉じた。
ハリケーンのあとの領地はさんざんで、しばらくは商人たちすら顔を見せてくれないものだから、備蓄の多い神殿にまで頭を下げないといけない始末だった。
そこにわざわざ視察に来てくれた人ならば、きっと大丈夫だろう。
アイノは微笑んだ。
「よろこんで」
<了>
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