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 潤む視界の中、見上げた灯希(とき)の顔は、見たことのないものだった。  今までずっと『可愛い甥っ子』だったのに、今(たつみ)が見ているその顔は獣の雄のようだ。 「巽さん、集中して、こっち見て」  ぐちゅ、という卑猥な水音と、灯希の呼吸音に意識を戻された巽は、改めて自身の体を見下ろした。  ベッドの上に寝そべる自分の腹には、何回分か分からない白濁が散っている。その下で、興奮を形に変えた自身の中心、そしてそんな巽の腰を抱えて、後孔に自身の中心を突き立てているのが灯希だ。どうしてこうなったのか、泥酔して帰ってきた巽には分からなかった。  今日は同期二人の結婚式に出席していた。こちらまで嬉しくなるような穏やかな式で、楽しくて……けれど二次会以降の記憶がない。 「なんで……おれ、灯希に……夢……?」  腰を打ち付けられるたびにくすぶっていた快感が波になって巽の体を駆け抜けていく。男同士でこんなことをするなんて初めての巽が快感を感じるなんて、よほど長い時間灯希に抱かれているのだろう。でも、それすらも思い出せなかった。 「夢じゃないよ。巽さんが寂しいって言ったから、俺がそれを埋めてあげるって言って……もう、いいから、巽さんはもっとキレイな顔見せて、可愛く鳴いてよ」  灯希が深く腰を打ち付ける。巽はその刺激に高い声を漏らした。こんな声が自分から出ているのか、それすらも分からないまま、灯希を見上げる。灯希はそんな巽に優しく笑んで、近づいた。 「巽さん、俺が結婚してあげるから、寂しくないよ。俺が全部、巽さんの理想を叶えてあげる」  灯希が深く巽にキスをする。口の中を執拗に舐められながら中を貫かれ、達した巽は、深い眠りに落ちるように意識を手放した。  麻岡(あさおか)巽が、同期の木南(きなみ)高梨(たかなし)の結婚を知ったのは、この日から一カ月前のことだった。 「麻岡くん、今日の同期会、来れるんだよね?」  総務課のオフィス、一番奥の席に座る巽の元に近づいたのは、高梨だった。  パンツスーツとショートカットの髪がよく似合う女性で、営業部でも成績が優秀なのだと聞く。仕事では勝気だけれど、よく気が付いて穏やかで優しい面も持っている、そんな人だ。 「うん、多分大丈夫だよ。今日は忙しくないから」 「聞いたよ、月末は随分残って精算業務してくれてるって。特にうちの部が提出遅いんでしょ」  高梨が眉を下げながら、手にしていたファイルをこちらに差し出す。そこには領収書が数枚入っていた。 「まあ、営業部はいつも忙しいから仕方ないよ。一番経費使うのも営業だし……あ、高梨さん、これは受け取れない」  巽は領収書を仕分けながら、その中の一枚を取り出し、高梨に差し出した。 「えー、これは取引先との食事で……」 「事前に申請していない会合、接待での飲食費は経費で落ちません」  経費申請の手引きに載っている文言をそのまま巽が言葉にすると、高梨の眉が下がり巽をじっと見つめる。 「そこを何とか!」  おねがい、と顔の前で両手を合わせる高梨に巽はしばらく唸ってから、ため息を吐いた。 「……申請書、高梨さんのパソコンに送っておくから、一週間前の日付で作成して。それが出てから受理するよ」  今回だけね、と巽が眉を下げて自身のパソコンで作業すると、高梨が嬉しそうに微笑み、ありがとう、と巽の手を取った。一方的な握手をしてからそれを離す。 「じゃあ、早めに書類送るね! また今夜ね!」  高梨が笑顔で手を振りながらオフィスを出ていく。それを見送ってから、巽は受け取った領収書を整理する。 「主任、全部聞こえてたんですけど、それやったらまた主任が部長に怒られません?」  隣で高梨との会話を全部聞いていたのだろう、部下である女子社員が、こちらをちらりと見やった。 「まあ……おれが申請書提出忘れてたっていうていになるからね。でも、ちょっとでも力になりたいだろ、同期なんだから」  確かに高梨は同期だ。けれど、巽にとって高梨は憧れでもあった。自分にはないものをたくさん持っている彼女は、新入社員の頃から巽の目を惹きつけていた。恋というには淡い気持ちだったが、好ましいと思っている、そんな人の役に立てるのならやっぱり嬉しいと思ってしまう。 「まあ、そうですけど……主任は少し優しすぎます。先月末だって木南さんが書類もってくるはずだからって、遅くまで残ってたみたいじゃないですか」 「事前に分ってる時だけだよ。あ、でも真似はしなくていいからね。それに、今日はおれも早く帰るし」  巽が微笑むと、そうしてくださいね、と女子社員が呆れたように頷く。巽はそれに苦く笑ってから仕事に戻った。  巽は総務課の主任という役職を貰いながらも、結局清算業務全般の仕事をしている。それなりに大きな会社なので、課も多く、それゆえ清算業務と一言で言ってもなかなかの業務量で、残業は当たり前だった。もちろん部下も何人かいるが、彼女たちにたくさんの仕事を振るのはなんだか忍びなくて、結局巽がそのほとんどを請け負っていた。  だからこそ、今回のように融通を利かせることもできるのだが、上からの覚えはよろしくない。それがきっと『優しすぎる』という評価に繋がっているのだろう。  三十歳が視界に入り始めた巽の同期は出世や昇進に躍起になっている人も多い。巽は一足先に肩書がついたけれど、本当はあまり欲しいとは思っていなかった。  巽はただ毎日を穏やかに過ごせればいいのだ。
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