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「父親の仕事の都合で、急に明日引っ越しすることになったんだ。今までずっと仲良くしてくれて、本当にありがとう」
少し寂しそうにそう言って、彼は校門を出ると彼女の帰る道とは反対の方向に向かって歩き出す。彼女は、彼の後ろ姿が見えなくなるまで、涙で見えなくなるまで、じっと見つめ続けた。
はあ、なんてこと。
やっと見つけた理想の殿方だったのに。
彼だって、わたくしのような女性が理想だったはずだわ。
だからこそ、わたくしにだけ最後に声をかけてくれた。
このまま、運命の赤い糸を分断させてはだめよ。
全力を挙げて、はなれていく赤い糸をたぐり寄せるの。
女性は、ポケットから取り出した絹のハンカチで涙をぬぐうと、きりりとこぶしを握って自分に気合をいれる。
それから、彼女の陰に潜むよう控えている、執事服に身を包んだ年配の男性に対して声をかける。
「執事長、すぐにわが大道寺家の総力をもってして、K君の引っ越し先を入手しなさい。個人情報の保護なんていう障害は、わたくしの彼にたいする愛の力の前では無力ですわよ」
「お嬢様、承知いたしました。日本有数の大財閥、大道寺家シークレット部隊の力を用いれば、個人情報の秘密など赤子の手をひねるようなものでございます」
年配の男性は、女性に対してそう答えると、パチンと指をならす。
すると、男性の周辺に控えていた黒ずくめの集団の一部が、すっと消える。
* * *
「それで、わが愛しの君の引っ越し先は手に入ったのかしら?」
学校から帰宅して、彼女が自宅のリビングでグラム当たり数万円はするであろう紅茶をしずしずと飲んでいると、先ほどの年配の男性が大きめの封筒を手に持ってやって来る。
「お嬢様、当然です。わが大道寺家シークレット部隊に隠しきれる秘密などこの世にございません。ご依頼の住所は、この封筒のなかに」
「さすが大道寺家が誇るシークレット部隊ね。内閣総理大臣のへそくりから、アメリカ大統領のパンツの値段まで、調べられないものは無いという、無敵の諜報機関。そうそう、当然彼の引っ越し先と同じ学区内の住宅も確保してあるわよね、わたくしの引っ越し先として」
年配の男性が手渡した封筒を開けて中身を確認する彼女は、満足そうに言葉を続ける。
「はい、当然でございます。ターゲット男性の引っ越し先マンションと同じ建物で、最上階の物件を市場価格の十倍で買い取ってあります。住民票もすでに移動済みですので、あとはお嬢様が引っ越すだけでございます」
男性が持ってきた封筒の中には、転居に必要な、手続き済みの書類一式もはいっていた。彼女はそれを確認すると満足そうに微笑む。
後は、引っ越し先の教育委員会に手をまわして、彼と私の転校先の中学校とクラスを同じにさせれば大丈夫ね。
大道寺家の力を使えば、そんなの造作もない。
* * *
彼が引っ越したマンションに、偶然に彼女も引っ越して来る。
さらに、転校先の学校もクラスも同じという偶然。
そんな偶然に、彼がどのように驚くか、ちょっと楽しみな彼女だった。
(了)
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