第一話 暗影

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第一話 暗影

憧れの能代(のしろ)センパイは今日もまた女の子たちの黄色い声援に囲まれていた。 「ねえちょっと、今日能代センパイ来てるよ!」 「え、やばっ! 今こっち向いてくれたよね?!」 「ホント、マジで顔面強すぎるんだけど!」 「「キャー、能代センパーイ、頑張ってー!!!」」 はあ。ただでさえ体育館は蒸風呂状態だって言うのに、過剰で過激なそのオーディエンスはロウリュウ並の熱気を放っていた。 「彩良(さら)、そろそろウォーミングアップ始まるよ」 「オッケー。すぐに行く」 額には早くも汗が滲んでいる。私はバッシュの靴紐を調整してすぐに体育館の中央に駆けつけた。 今日は男女含むバスケ部の練習日だった。他にもバレー部とバドミントン部が体育館を使用するが、試合でもない限り基本的には公平にローテーションで使用することになっている。 もちろんバスケ部の練習は男女別々で体育館も半分ずつの使用。女子は男子と違って強豪でもなんでもないから半分ずつっていうのが少し申し訳ないんだけど、女子も女子なりにみんな練習に励んでいた。 そしてこの間まではバレー部が試合だったため、バスケ部の体育館使用は実に10日ぶり。そのせいか黄色い声援はいつになく大盛況で、女子バスケ部はその狭い肩身をさらに狭くして練習に勤しむこととなった。 「なんか今日、全然集中できないや」 センパイの一人がうんざりした様子で吐き捨てた。 「男バスの顧問もいい加減、注意すればいいのに」 「それはないでしょー。だってほら、男子の士気だだ上がりだよ? あー暑い暑い」 「去年インターハイに出られたのも、この声援があったからこそって言う意見もあったくらいだしね」 「でもそれを言ってたのって、どうせ能代でしょ? やだ、甘すぎて吐きそう……」 「だってその声援のほとんどは能代に向けられたものだし。それにあのルックスで、あのリップサービスだもん。もはや仕方ないわ」 「だね」 能代センパイと同じ3年のセンパイたちはやれやれと半ば呆れた様子で、だけど確かに認めざるを得ない彼の人間性に何度目かのため息を吐いていた。 そうだ。能代センパイは本当にすごい人なのだ。 今はその座を下りているが、2年では顧問含め満場一致でキャプテンに任命。かつ生徒会長を兼任し、おまけに成績も首位独走ときた。 またバスケでは積極的に攻めるプレーをするものの、周囲もみんな認めるほどの甘いマスクに性格はとっても温厚。それはもう非の打ち所がない人なのだ……なんて、つい癖で現を抜かしていたら、強い衝撃とともに突如視界が反転した。 「――彩良?!」 「っ〜……」 「ちょっと、彩良! 大丈夫?! 顔打った? 打ったよね?!」 「え、やば! 血出てるよ! 早く保健室に――」 周囲で私を心配する声が聞こえる中、私の意識は徐々に遠退いていった。 体育館で練習をする際、天井から吊るしたネットでコートを二つに仕切っていたが、男子側のコートから飛んできたボールが何とそのネットを貫通し見事私の顔面にクリーンヒットしたという。 それを知ったのは私が保健室へ運ばれてきて、目が覚めたときだった。 しかも教えてくれたのはなんとあの噂の張本人だった。 「え、なんで能代センパイが……?」 「それは俺がパスミスして飛ばしたボールが当たってしまったから、急いで保健室に連れてきたんだ」 「そうだったんですね」 「本当にごめん……痛かったよね。今、先生は席外してるけど応急処置はしてもらったから一先ず安心してね」 「いえ、ありがとうございました」 「お礼なんて必要ないよ。 女の子の……しかも顔に傷をつけるなんて本当に男の風上にも置けない」 「そ、そんなに責めないでください。センパイはわざとしたわけじゃないんだし。それに傷なんて、いつか治りますから。大丈夫ですよ」 見たことのない落ち込んだ顔に不覚にもドキドキしてしまったけど、何とか元気を出してもらいたい一心で私は思いつく限りの言葉をセンパイに伝えた。 「――(あまり)さんは優しい人だね。ありがとう」 「っ……」 「ん、どうかした? 顔赤くなってるけど」 「や、だって……センパイが私の名前、知ってるのびっくりして……」 まさかこんなスーパースターのセンパイに私なんかが認知されているなんて思ってもみなかった。だから思わず全力で赤面してしまったではないか。 ただでさえ人気者の能代センパイとこうして話しているだけでもすごい状況なのに、むしろボールぶつけてくれてありがとうございますとさえ言いたいくらいなのに。 「大丈夫?」 「あ、ハイ。スミマセンでした。少し取り乱してしまって」 「ハハ、かわいいね。余さんは」 ん? え? かわいいね……? 「名前知ってるのも当然だよ。だって部内でもウワサになってるから」 「え……それ……ホントですか? 他人の空似だったりしませんか?」 「ないよ。それに余なんて名字、他にいないでしょ」 「確かにそうですね。あの……ちなみになんですが……」 「どんなウワサか、知りたい?」 知らないうちに前に抱えていた枕にぐっと顔を埋めて私は頷いた。だけど。 「それはヒミツ」 と能代センパイは少しだけイジワルな顔をして笑った。また見たことのない表情にドキッとした。だけど、どうしてかさっき感じたドキドキとは少し違っていた。 なんだろう。この違和感。ドキドキして嬉しいはずなのにどこか違う。 ねえ、能代センパイ。どうしてそんなつらそうな顔をして笑っているの――……?
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