殺しより大切なもの、それから

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殺しより大切なもの、それから

ebe935d7-ee86-4b96-966f-099acd78f931 「スイーツさんのいるところ、必ずその上空にカラスが群れをなして飛んでいる気がするのですが」  とある同業者との共同作業を終え、それぞれの上司やら依頼人への連絡をしつつ、並んで帰路についているところに、隣の男が空を見上げた。  シングルにして子持ち。業者にしては珍しい肩書きのある(らしい)男が尋ねてくる。小柄ながらその身軽さと柔軟性を活かした、人間離れしたアクロバットな動きを得意としており、一度対峙すればこちらのどんな攻撃もやすやすとかわし、おまけにあらぬ方向から拳やら蹴りを放って、それを狂いもなくこちらの急所へ、見事なまでに叩き込んでくる。小さくて大人しそうな見かけによらず、相当なやり手の男である。 「そこはまぁ、色々と、あってな。てかそのスイーツさんって呼び方、やめてくんねえかな。気がついたら同業者皆からそう呼ばれるようになっちまったじゃねえか」 「あなたにぴったりなコードネームじゃないですか。わかりやすいし」  男は特有の、見る者全ての気を緩ませるような、柔らかな微笑みを浮かべた。  このまま黙っているのもな、と思い、彼は先日の限定スイーツを巡るターゲット、そしてカラスとの攻防を大まかに、男に対して語ってみせた。 「カラスって、自分や仲間を襲った人間を忘れないって聞きますもんね」 「ちゃんと(もく)(とう)も捧げたんだがな」 「そんな人間特有の習慣なんて、いくら頭の良いカラスでも理解できないでしょう」  彼はため息をついた。 「んなわけで、それ以来、俺が限定スイーツの売っている列に並ぶと特にその周辺を飛び回って、常に俺のスイーツを狙ってる気がするんだよなあ」 「はぁ」 「あんたがボディーガードとか、してくんねえかな。俺が限定スイーツの列に並んでいる時と、運んでいる時限定の」 「僕、そんなに暇じゃないですから」  それは子どもの世話とかがあるからか? そうカマをかけてみようかと思ったが、やめた。同業者のプライベートに首を突っ込んでも、禄なことはない。 「それに、僕までカラスのターゲットにされるのは、御免ですから」  殺し屋がカラスのターゲット、とは。言い得て妙だ。  しばしふたり並んで歩いていると、彼にとっては魅惑的な甘い香り。 「あそこに寄ってもいいか? あれは日本初出店の新作ドーナツ屋だ」 「あんな遠くにあるのに目ざといですね」  男に半ば飽きられつつも、彼は早足でそのドーナツ屋へと向かい、ザッとニ十人以上は並んでいる(見た限りでは全て女だ)列の最後尾へ。 「早速だけど、ボディーガード頼む」  今度は男のため息。だがなんだかんだ言いつつ、彼の横へと並んでくれた。  揚げたて新作ドーナツを両手で大切に持ちつつ、店を離れた。 「さっさと食べたらどうですか。またカラスに狙われてしまいますよ」 「そこはあんたに任せるよ。そのためのボディーガードなんだから。まずは香りを心ゆくまで堪能したいんだ」 「ドーナツのにおいなんてどれも同じに感じますが」  するとここでふたつのことがほぼ同時に起こった。  目を閉じ、ドーナツにひたすら鼻を近づける彼と、そんな彼を呆れた様子で見つめる男。ふたりの目の前に影がひとつ、その進行を妨げるようにして立ちふさがった。殺し屋の勘か、彼と男とが同時に身構える。その時、彼は口元までもってきていたドーナツを、自らの腕の半分ほどの距離まで、顔から離していた。途端、またも黒い影が、彼のすぐ横をかすめていった。  もはや彼の宿敵と化していたカラスの細い両足には、先ほどまで彼が持っていたドーナツが、まるごと掴まれていた。  後ろから襲撃とは卑怯な! 殺し屋の台詞とは思えない絶叫が、彼の心のなかで響いた。 「肩、お借りしますっ」  言うやいなや、男が彼の右肩に靴のない左足を乗せ、軽く跳ねる。目の前の男に向かい、華麗な飛び蹴り、とおもいきや、なんと男の頭の天辺を踏み台にして、そこから人間のものとは思えない見事な跳躍をみせ、ドーナツを片手、ならぬ両足に掴んで飛び立とうとしていたカラスの方へ。精一杯伸ばした男の手がドーナツへ。そのままドーナツを掴んで見事カラスからドーナツを奪還、とはいかず、男が掴めたのはドーナツの約半分ほど。だがそんな男の人間離れした行動が、目の前の男の気を数秒反らした。  彼もそこはプロ。その隙を逃さず、男の顔面めがけて手刀。体制を崩した男の首に腕を巻きつけ、たちまち男の意識を奪った。  ここは繁華街のど真ん中。  そんなところで、殺しをするわけにはいかない。 「ドーナツ、半分しか取り戻せませんでした」  男は申し訳なさそうにしたが、まさか自分のドーナツのために、目立つの承知であんなことまでしてくれた男に、裏の世界では先輩とはいえ文句を言うのはさすがにためらわれた。  そしてお礼もそこそこに、まずはふたりで、先ほど襲撃したきた男の体を人気のないと路地へと運んだ。  それから互いの仕事の上司に男の写真を携帯では撮影して送り、男をどうするべきか指示を仰いだ。結果男は先に始末していた男の仲間だと判明。その場で男を始末。  後ほど到着した遺体回収業者へ、男の遺体を引き渡した。
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