あけましておめでとう

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あけましておめでとう

 あ、本年もよろしくお願い申し上げます。 (はい、2008年((平成20年))になりました。)  で、明けましておめでとう、の『おめでとう』って、どういう意味でしょう。 (っていうお話のようです。) ――や、おめでとう、っつわれる程めでたかねえぞ、とか、眉間に皺寄せてブツブツおっしゃってる方が、けっこういらっしゃらないでしょうか、と。 (だいたい本人が思ってただけかも知れません。)  や、いろいろ考えてみたんですが、 結論、『幸せになりとうございますねぇ』って、意味でいいんじゃねえかと思ってみたんでございました。 (お、おめでとうございます。)  あの、『おめでたい』って、誰かを指して言う時には、『ばかな』とか『脳天気な』とか、『幸せな』とか、けっこう見下したような、皮肉った意味で言ってますよね?  あと、『目が出る』というのは、何か『いいことがある』とかいう意味でも使われる言葉です。  で、『おめでとう』、『おめでたい』の『――とう』とか『――たい』は、見たい、聴きたい、歌いたい、とかの『たい』と同じで、たぶん、何らかの願望を表してるんじゃないか、とか考えたわけですが。  んであの、や、今日は、めでたい日だ、とか言うと、『つまらない』とか、『楽しい』とか『珍しい』とか、ふつうに、形容詞なんじゃないかとか思うじゃないですか。  じゃ、形容詞だと、どういう意味だろう、とか考えるじゃないですかぁ。  で、最初に挙げた『ばかな』とか『脳天気な』とかの、割と皮肉った意味を度外視した意味で、『すばらしい』『嬉しい』『楽しい』『祝福された』『幸せな』とかいうのが、『めでたい』の意味なんだろうと、考えられます。  だから、我々凡人が、正月明けたぐらいで何がめでたい、とかぼやく場面では、そのすばらしいだの嬉しいだのの意味を受け取っているんじゃないでしょうか。そんなに嬉しくもない、という反感を覚えもするのでしょう。  さて、そこで、『おめでとう』、『おめでたい』の『――とう』とか『――たい』は、見たい、聴きたい、歌いたい、とかの『たい』と同じで、たぶん、何らかの願望を表してるんじゃないか、とか考えるわけです。 つまり、お正月が来ました。『すばらしい』『嬉しい』『楽しい』『祝福された』『幸せな』、だといいですね。私も、『すばらしい』『嬉しい』『楽しい』『祝福された』『幸せな』とか感じてみたいです、という意味のことを言いたかったんじゃないかとか、考えてみたわけです。  や、正月じゃなくても、幸せにぁなりたいですよね?  けれど、古来、日本人、ってえやつは、結構慎み深くできてたので、そうそう自身の願望ってえものを強く主張しなかったんですね。  だ、『幸せ』になりたい、なんて願望は、敢えて口にするまでもないことですし、何となれば、ええ貴方様がお幸せならあたくしごときはどうだってよござんす、と一歩下がるのが、道義上あたりまえのことだったはずです。  ただ、言葉は、同じ言葉でも複数の異なる意味を持つ『かけことば』のような使い方が、もう、伝統的に行われてきたわけですから、たかが『明けましておめでとう』でも、二つの意味が含まれてても不思議はないでしょう。  ま、そんなかんじなので、お正月は、おめでとうございます、と。 ――はい? その前に、何でお正月が幸せなんだ、と?  はい、話が逆戻りしましたね? では、歌っておきましょう。    年の初めのためしとて    終わりなき世のめでたさを    松竹立てて 門ごとに    祝う今日こそたのしけれ  や、お正月恒例の歌ですけども、歌詞にあるとおり、 『終わりなき世のめでたさを』で、オッケーだと思います。 私たちは、また、生きて新年を迎えることが出来た。 それは、嬉しい、幸せなことではないんでしょうか。  人間、明日は何が起こるか分かりません。大地震、津波、雪崩、土砂崩れ交通事故、強盗殺人事件、駅前で銃乱射事件、高層ビルに飛行機突入、自爆テロ、何とかミサイル発射実験、原子力発電所臨界事故、えっと、エトセトラ。  怖いですよね。何なら自殺を選択する人もいたりします。悲しいですよね? だから、生きて、新年を迎えられる、というのは、それだけで目出度いことなんです。 たぶん。 だから、めでたくもない気がしないでもない、かも知れないんですけども、もうすこしでも、いいですから、しあわせだ、って、感じて下さい。  で、まぁ、そんな感じですから、 新年、明けまして、おめでとうございます。  ――ではまた。 (2008年1月4日)  あ、わざとだと思うんですが、 『めでたい』とキーボードで入力すると、 『愛でたい』っていうのが予測変換で出てきます。っていうところには触れておりません。  おめでとうございます、とは、あなた方を愛したいと思っております、という意味も、暗に含まれているのだろうと、思われます。  え、愛したい、って何? 気持ちわるくない? とか、思いませんでした?  それは、『愛する』の意味を正しく理解できていないからでありましょう、と、何だか意味深なことを残しつつ、そのうちそんな記述が出て来るんじゃないかな、とか、 言い置きまして、 今日はこのくらいにしといて差し上げようかと。 はい。 それではまた。   頓首。 (2024年4月20日)
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