1章

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9、これで心おきなく仕事ができるね 「さて、ここから先は国家機密。従者の石苞(セキホウ)さんは退室するように」    白猫の『先見(さきみ)の公子』は、命令口調だ。身分のある人だから当然か。 「主上は西領で名を馳せた『傾城』に大いに感銘を受けたご様子で、『格好良い』と仰り。今年から宮廷術師に称号を贈られ、順位付けされて、上位九人を皇帝直属とした。ひねりも何もなく『九術師』と呼ばれるらしいのだが、これが序列表なので、目を通しておくように」  「これが序列表」とは?   と思った瞬間に、先見(さきみ)の公子はその輪郭をゆらりと歪めて人の姿になった。   「えええっ?」    それも、超がつくほどの美青年。  年齢は二十代前半に見える。天子に天の意向を読みとり伝える『天文博士』の官服を着ていて、長い髪を結わえている姿はどこか浮世離れした風雅さだ。  その手が懐から書簡を取り出し、渡してくれる。 「序列表はこれだよ」   「頂戴します」 「ちなみに、紺紺(コンコン)さんの方が序列は上なんだ。敬語は使わなくても構わないよ。ただ、私も敬語は使わないけど」 「えっ」    見てみると、自分の序列が一位となっていた。  目を(こす)ってみたけど、間違いない。   「で、でも、年上なので」 「石苞(セキホウ)さんには敬語を使わないじゃないか?」 「……先見の公子様は、宮廷術師としての先輩ですから」  目が合うと、先見の公子はおっとりとした微笑みを浮かべた。  その笑顔に、ギクリとする。    どこか(あや)しい印象なのは、伏せがちの目元に長い睫毛の(かげ)ができているせいだろうか。    柔らかで綺麗な微笑みは、よく見ると目が笑ってない。  人間らしい感情が見えなくて、底なしの沼みたい。  こわーい、なんかこわ〜い! 「様々な事情から、後宮調査は秘密裡(ひみつり)に潜入して行う。紺紺さんには新米宮女になってもらいたい。いいかな」  声は優しくて、ゆったりとしている。  しかし、「いいかな」が問いかけに聞こえない。「従ってね」と念押しされているみたいだ。   「しょ、承知です。宮女になります……宮女。宮女かぁ」  コクコクと首を縦にしてから、紺紺は眉を下げた。 「嫌そうだね。何故? 理由を話しなさい」    心を見透かすように先見の公子が指を伸ばしてきて、紺紺は思わず一歩後退った。    彼は追いかけて距離を詰めることはなく、ただ静かに返答を待っている。視線と沈黙が気まずい。 「え、と……後宮は、皇帝陛下のお嫁さんの宮殿です。宮女は下働きだけど、それでも一度入ったら簡単に外に出れないですよね」 「うん?」    先見の公子が先を促してくる。  心の中を全部さらけ出してしまいそうになる、綺麗な笑顔で。  でも、目は笑ってないんだぁ……それが怖いんだぁ。 「石苞が言ったんですよ。『お嬢様は箱入り娘で異性とは色気皆無の事務的な文通しか経験がない』って」 「うん、うん。それで? あと、どうして後ろに下がっていくんだい」   「下がったのは無意識でした。えと、つまり、私は……もしかして、皇帝陛下のお手付きになったりするのかなって……」  参考までに――お手付きとは、一般的に性的交渉で処女を失うことを指す。    だが、紺紺の中での性的な接触は接吻(キス)がゴールだ。その先は頭にない。  なぜかというと、白家が手配した教師の中に性教育担当が欠けていたから。わざとかどうかはわからないが。    接吻(キス)したら処女喪失。  赤ちゃんもできるかもしれない――紺紺はそう信じてる。 「初接吻(キス)があの陛下に奪われちゃったりするのかなって。だってあの陛下……」 「なるほど。ああ、また後ろに下がっている」   「はっ、ぺらぺらと喋っちゃいました」  背中が壁に当たって、紺紺はハッとした。    恥ずかしいことを言ってしまった。  手を頬にあてて悶えていると、先見の公子は近づいてきた。  影が忍び寄るみたいに、沓音(くつおと)衣擦(きぬず)れの音のない静けさで。   「紺紺さん。そういえば、お祭りでつけていた狐のお面はお気に入りなのかな。後宮に妖狐がいる噂は、知っている者が多い。狐を連想しそうなものは身に付けないほうがいいかもしれないね」    近すぎでは? と思うほど接近して、先見の公子は壁に片手をついて顔を覗き込んでくる。    美麗な顔が怖い。  何を考えているか、わからない。  息を殺すようにした紺紺は、ふと気づいた。      ……目の前の美青年から、(はす)の香りがする?    いつも霞幽(カユウ)の手紙から漂う香り。  紺紺が好きな香りだ。    ……あれ? もしかして、霞幽様だったりする?  想いは口をついて出た。   「……()ふにゅっ!?」    口にした名前が変な声になったのは、先見の公子のせいだ。  彼の両手が紺紺の両頬をむにっと押して、強引に唇を封じたから。    頬を解放し、代わりに左手の人差し指を紺紺の唇にあてて、彼は囁いた。 「先見(さきみ)の公子と呼びなさい」  命令口調だ。  目をぱちぱちと瞬きしていると、唇にあてられていた人差し指が離れて、代わりに顔を寄せられる。  睫毛が長い。  と、いう感想を抱いた次の瞬間、ちゅっと口付けをされていた。 「ぎゃああ!?」  唇と唇が触れた!  と思った時には、顔はもう離れていた。  夢でも見たのかと疑ってしまうような呆気なさ。でも、夢じゃない。   「なにするんです~~っ!?」    接吻(キス)だ。  初めての接吻が、いきなり奪われてしまった!  真っ赤になって口を押えて見上げると、先見の公子は極上の笑顔で事務的に言った。   「初めては済んだから、これで心おきなく仕事ができるね」 「はあぁぁ!?」 「後宮入りはあくまでも潜入任務に過ぎない。仕事が終われば出られるよ。主上は手が早いから接吻(キス)くらいは挨拶代わりにしそうだけどね」    先見の公子の手が、紺紺の頭に触れた。ぽん、と。   「三日後に後宮への迎えを寄こすから準備するように。何人もの新米宮女と一緒に新生活を始めることになるから、同じ年ごろのお友達でも作りなさい」    サッと距離を取り、「それでは」と部屋を出ていく姿は、一方的だ。  「文句は聞かないよ」って雰囲気だった。    「紺紺(コンコン)さんの方が序列は上なんだ」と言っていたくせに、上からな態度だ。 「ふあぁぁぁ~~~っ‼」    私の初めての接吻(キス)が! 処女が!  ぷるぷると悶え震えていると、部屋の外にいた石苞が扉を開けて駆け付けてくる。 「お嬢様! 何かされたのですか!?」 「すごく、された。でも、詳しくは言わないよ……!」  私は処女を奪われてしまったんだよ。  ――なんて、言えない……! 「わああ! うわああ! ああああん!」  「お、お嬢様、お気を確かに!? 一体、何が……おのれ先見の公子! 追いかけて成敗いたします!」 「だ、だめだよ石苞。あの人、怖い人だよ。逆に殺されちゃうと思うよ!」    紺紺は慌てて石苞を抑えた。    * * *    後宮は男子禁制だ。  紺兵隊(こんぺいたい)のみんなはスコップを手に「おれたちも手伝いたいですがねえ」「抜け道を作ったらだめですかね?」と言っている。   「絶対だめだよ。後宮だよ? 処刑されちゃうよ」  「お嬢様。霞幽(カユウ)様が手紙を届けてきましたよ。『抜け道を掘るの? いいんじゃないかな。好きにおし(笑)』と書いてますぜ。こっちから手紙を出してもいないのに、たまげたなあ」 「そんな馬鹿な。(笑)って何?」  手紙を見ると、確かに書いてある。  ご丁寧に注釈付きだ。  『(笑)とは、「私は笑っている」という意味だよ(笑)』 「……霞幽様ぁぁぁ‼」  事情を把握している点。そして、この(はす)の香り。    あの先見(さきみ)の公子の正体は、霞幽(カユウ)様に違いない。  確信を抱きつつ、紺紺は決意した。 「絶対、お仕事を最速で終わらせて、帰る!」  石苞は一緒に後宮入りしようと女装したが最速で「お前はどう見ても男だ!」と見抜かれ、泣く泣くスコップを担いで見送ってくれた。   「お嬢様。必ずお迎えに参ります」 「石苞? お迎えは来なくていいよ。抜け道を掘ったら処刑されちゃうからね、だめだからね」 「お任せください。お嬢様」  果たして色々と大丈夫なのだろうか?    接吻(キス)で赤ちゃんができてしまったりしてないだろうか⁉︎  誰にも相談できない……どうしよう!    不安要素が山盛りながら、序列一位の術師『傾城』こと紺紺はその正体を隠して後宮へ行った。    思えば、同じ年ごろの同性と仲良く話したこともない。  ……お友達は、できるかな?    ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆ ●おまけの本編情報整理メモ 〇紺紺の能力 人間からの供物や崇拝をもらうと身体機能と霊力が一時的に向上する。 人間が扱う術以外に、狐火や妖術を操る。 人間が使う術: 接触呪術、共感呪術、撫でもの(対象に縁のある人形を使って対象に干渉したり穢れを祓ったりする術)、他 妖術:幻惑の術(テンプテーション)…主張する内容の説得力を増す術 読んでくださってありがとうございます。
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