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            5  自分と同じ一年生の中にひと際、背が高い生徒がいた。自己紹介の時、「佐原祐一、中学から本格的に硬式野球を始めました。リトルリーグシニア、浦和ライダーズでピッチャーやってました」とその生徒は言ったのだった。  佐原祐一、ぼくには、その名前に聞き覚えがあった。それは、中学三年の関東リトルリーグシニア大会でだった。ブラックジャガーズは、三回戦で負けたが、浦和ライダーズは、準優勝したのだった。この結果を監督は、選手に大会が行われた埼玉県の地方新聞を広げて「浦和ライダーズのエースの佐原祐一君というのは、百四十五キロ位のストレートを投げると書かれている」と伝えたのだった。  中学生にしてストレートが、百四十五キロ、速い。 「いつか、プロに行く逸材かも知れんな」  ブラックジャガーズの監督は、付け足しのように言った。  その佐原祐一が、サエグサ学園高等部に入学して、僕と同じ野球部に入ることになったのだ。こんなにカッコイイ奴だなんて想像もしていなかった。イケメンぶりだったら、タケルの方が上だったけど、当時、百八十センチの長身と日に焼けたタケルよりずっとたくましい肉体が、祐一にはあった。タケルが、言わば、偶像なのに対し祐一とは、同じ空間にいて同じ空気を吸う関係に成りえるという大きな違いもあった。  ぼくは、明らかに、佐原祐一にひとめぼれをしたのだった。  ピッチャーとショート、近いようで、決して近くはなかった。サエグサ学園は、文武両道の地位を獲得すべく、野球のグラウンドにも十分な金を使った。ピッチャーのための練習場を作ったのだった。一塁側の横の方一角にピッチャーが、三人並んで投げられる練習場だった。  入部した時点で、サエグサ学園の三番目のピッチャーとなった祐一は、グランドに近い端っこで投球練習をした。一緒のグラウンドに立つのはシート打撃と試合のある日だけだった。一年生は、練習前グラウンドをトンボでならすというのが課されていたが、当番制でぼくが祐一と一緒にそれをすることはなかった。  祐一に対するつのる気持ち。ぼくは、ノックを受けながら、時折、ピッチャーの練習場の方に視線を送った。視線を送ったというより気持ちが無意識に投げかけさせていたのだった。  けれど、十分に注意する必要があった。武原監督に祐一への視線の投げ掛けを悟られたくなかった。練習中、ことさらに「イコーゼ、イコーゼ」という声出しをしてごまかそうとする自分があったのだった。  一年生の秋のこと、まずは、祐一の唯一無二の親友になろうと考えた。それには、共通の趣味を持つのがいいのではないか。ハードルは、すごく高いように感じられた。  僕の目からは、祐一は、野球以外に興味を示さないストイックな人間に見えたからである。彼の頭の中は、第一に武原監督の下でエースとして甲子園に行くこと。第二にプロのスカウトのお眼鏡にかなってドラフト会議にかけられること、これらのことで一杯なのではないか。現に、仲間内の会話では、祐一はプロをめざしているという言葉を公言していた。  祐一が、野球だけに夢中になっている高校生でないのを、ぼくは、一年生キャッチャーの戸梶と話した時に偶然に知った。通学の電車で一緒になった時、それとなく、話題を祐一の方にもっていった。「彼の頭の中は、野球、野球、野球なんだろうな」とぼくが言うと、浦和ライダーズでもバッテリーを組んでいた戸梶は、「それと、フィギュア集めな」と答えを返したのだった。フィギュア集め、祐一からこの言葉を聞いたことはなかった。
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