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千歳の周りにいたクラスメイト達が去ると、「おはよう蘇芳」と友人の対馬鉄之助がやってきた。鉄之助は空いていた千歳の前の席に座り、不機嫌な顔を千歳に向ける。
「お前、今日俺が朝一で電話したの覚えてる?」
「そうなの? ごめん全然覚えてない」
「俺が『対馬だけど』って言った瞬間、即行切ったのも?」
「きっと寝ぼけてたんだと思う」
「他の奴からの電話は最後まで話聞いてんのに、俺だけ寝ぼけてたっておかしくね?」
千歳は悪びれた様子もなく、潜んだ声で「しゃあないやん」と肩を竦ませた。
「あんたの電話なんて、出ても出んでも別にあたしの日常生活には何の問題もないねんから」
「それ、仮にも友達に言うセリフ?」
「笑止。貴様が我が友人とは、ずいぶんと思いあがったものだ。貴様なんぞ、ただの下僕にすぎん」
中学三年の時に通っていた塾からの付き合いの鉄之助は、校内で唯一千歳の本性を知る友人だ。また、千歳の口の悪さや常人とはかけ離れた嗜好、著しく過激な思考すらも、よくよく知った仲である。
「ひっど。てか、なんで朝から武士語なの?」
「そう言えば、孝也君から朝メール来てんけどな」
「無視?」
「松山の事件で話が聞きたいから、学校終わったら連絡しろやって」
「え、何俺ら疑われてんの?」
驚く鉄之助に、「んなアホな」と千歳が呆れる。
「孝也君らが担当やから、松山の事いろいろ聞きたいねんて」
「あ、なるほどね。でも、本当に誰が松山を殺したんだろ」
鉄之助の疑問に答えるように、「犯人、あの子じゃないの?」と言う声が聞こえ、二人揃って顔を上げる。声の主は複数いて、いつの間にか教室内では犯人探しが始まっていた。
「ほら、一年の時同じクラスで、松山にいじめられて転校した子いたじゃん」
「前のクラスの担任が犯人じゃないか? 学校辞めさせられて、松山のことすっげえ恨んでるだろうし」
「松山にいじめられて不登校になった一年の男子。あいつの兄貴が確かヤンキーじゃなかったっけ? 仲間と一緒に殺ったんじゃねえの?」
「誰が犯人でもいいわ。殺してくれてマジさんきゅー」
盛り上がる教室を眺めながら、独り言のように鉄之助が言った。
「なんか、凄いよな」
「何が?」
「これがもしドラマとか漫画の世界だったら、いくらいじめっ子の嫌われキャラでも、多少は同情って言うか、形だけでも暗い雰囲気出してくると思うんだけど、全然じゃん? きっと主人公なら、今頃あんなふうに笑ってるやつらに対して怒ると思うんだよ。クラスメイトが殺されたのにそんな風に笑うなんて、お前らそれでも人間か、とか」
「血も涙もないやつだ、とか?」
「うん。でもこの教室の中にいる誰も、俺もお前も、そんなこと思ってないじゃん? それが、なんか凄いリアルだなって思って」
本当に、ただそう思っただけなのだろう。鉄之助の顔には、やりきれないような様子は見当たらなかった。
フィクションはあくまでもフィクションだ。松山が殺されたからと言って、今まで彼女から被害を受けていた人達が彼女の罪を水に流す事はないだろう。その罪を許されるほどの価値が、松山の命にはないのだから。
死んだらそれまでの罪は帳消しなんて、なんておめでたい主人公だろうと千歳は思う。きっと今まで、自分も家族も周りにいる仲間達も、誰かに強い負の感情を向けられたことのない平和な日常を送って来たのだろう。そうじゃなければ、そんな綺麗事など言えるはずがない。
が、そんな正義感があるのなら、そもそもいじめを止める事もできたはずだ。それをしなかったという事は、主人公もまた見て見ぬふりを決め込んでいた一員だったという事。なのに一人だけ良い子ぶろうとするなんて、その浅ましさが何よりも人間らしさを肯定しているような気がした。
「フィクションの方がよかった?」
鼻で笑うように訊ねる千歳に、鉄之助は一瞬驚いた表情を浮かべた後、笑いながら首を振った。
「そしたら、俺とお前がアウェイになるじゃん」
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