サイダー、溢れ。

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サイダー、溢れ。

 「ん、見てみ」 夜闇のなか、指さされた黒い筒を覗く。 「……?見えない」 「見えるよ。持って、ここ」 手が重なる。 そういうの。やめてほしい。 「見えた?」 「うん」 「あれが猫の目銀河。二個環構造がある渦巻銀河で、暗黒物質が存在しない。りょうけん座の銀河だ。四月は肉眼でも見える。晴れててよかったな」 「うん」 「綺麗でしょ」 「うん」 「俺のこと好きになった?」 「んなわけ」 「あっそ」 手がなくなった。 温もりのなくなった手に、夜の風は冷たかった。 「んじゃ帰るぞ」 「他は見ないの?」 「今日の目当ては猫の目銀河だ。寒いし帰るぞ」 「つまんな」 「なに?寒い?手つなぐ?」 「は?」 「はいはい」  公園の展望台からの帰り道、青柳はコンビニの前で立ち止まった。 「飲み物買っていい?」 「どうぞ」 「奢ってやる」 「いらん」 二、三分経って帰ってきた青柳は、案の定ペットボトルを二本持っていた。 青柳は私の隣で壁にもたれる。私は意識的に壁から背中を離した。 「いらんって言ったけど」 「聞こえんかったわ」 渡されたのはペットボトルのサイダーだった。 「あんた、いつもこれ買うよね」 「悪い?」 「そんなにおいしい?」 「飲んだことないの?」 「ない」 「うっそだろ。奢って良かったわ」 ペットボトルの蓋を開けようと力んでいたら、隣のベンチで煙草を吸っていた男が肘にぶつかってきた。私のサイダーは虚しく冷たいコンクリートを転がっていく。 反射的に男を睨みつける私の横を青柳はすっと通り抜ける。私のサイダーを拾って土を払った。 「あーあ。これもうだめだな。こっちにしろよ、はい交換」 「いらない」 「飲めって。噴き出したらせっかく初めて飲むのに少なくなっちゃうだろ」 あー、なんか。そういうとこだよな。 「ほら、こっちな」 プシッと軽快な音を立てて青柳のサイダーが開く。 仕方がないのでそれを受け取って飲んだ。一気に三分の一ほど飲んだ。 「どう?うまい?」 「普通」 「あっそ」 青柳があっそというときいつも、全然残念そうな感じがしない。そういうところが。 「見てこれ」 青柳は、パンパンに膨らんだ私の転がったサイダーを夜の空にかざす。 無機質なコンビニの明かりに照らされた無数の炭酸の粒が、暗い空をしゅわしゅわと泳いで。 まるで、 「星みたいじゃね?」 「……まあ」 「だから好き」 どくん、と、心臓が音を立てた。 炭酸を一気飲みしたせいでないことは自分が一番よく分かる。 「ふーん」 青柳は私のサイダーの蓋に手を添えて、「いや、」と外した。 「これもっと振るかー」 「は、何言ってんの?」 「いやこれ絶対めっちゃ噴くじゃん。どうせなら思いっきり振ろうかなって」 「好きにすれば」 青柳がサイダーを振り始める。 何度も、何度も、何度も、振っている。 やめてほしい。 これ以上私のことを揺らさないでほしい。 もうほっといておいてほしい。 好きになりたくない。 好きって思いたくない。 そう思うのが怖いから。 壊れる関係になりたくない。 どうせいつかなくなる関係ならいらない。 もう私に好きって思わせないで。 それ以上振ったら、 「すげぇ!星が爆発してる。綺麗だ」 ほら、溢れるから。 取り返しつかなくなるから。 もうやめろよ。 もう笑わないでよ。 どっか行けよ。 「うわ、まじめっちゃ減ったわ」 私は青柳の手から軽くなったペットボトルを奪い取る。 残ったサイダーを一気飲みした。 「なになにどした。あ、やっぱ好き? な、言っただろ」 「好きだよ」 「え?」 「おいしい」 二本のペットボトルをゴミ箱に押し込む。 「だろー?また奢ってやるよ」 「いらん」 「またまたー」 この気持ちは、言わない。 私はまだ溢れない。 また来週も、あんたと星を見るために。
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