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「おかしいな、確かこの辺のはずなんだけど」
僕は路地裏を一人さまよっていた。ポケットからスマホを取り出す。地図アプリを開き、目的地までの道順を再確認する。
「ここを左に曲がったら真っ直ぐに……」
液晶画面と景色を見比べながら進み、
「もしかして、ここ?」
立ち止まった。
テープだらけのガラス窓、茂る葉に覆われた壁。それに『マガリ不動産』と書かれた錆だらけの立て看板――その様子はまさに幽霊屋敷だった。
「別の店にするか」
自然と回れ右をした、その時。
「いらっしゃいませ」
目の前に立っていた老婆に、
「うわぁ!!」
僕は叫んだ。
「おやおや驚かせてしまったかい?」
老婆は隙間が目立つ歯を見せる。
「アタシはこの『マガリ不動産』の店主をやってるマガリだよ。よろしくね」
マガリと名乗った老婆は小さな背中を丸める。
「せっかくなんですがまたの機会に……」
頭を下げて立ち去ろうとすると、
「独身新米サラリーマン」
マガリが口の端を持ち上げた。
「残業漬けの毎日。家に帰る時間は遅く、十分な睡眠は取れていない。ってとこだね」
僕は目を丸くする。
「どうしてそれを?」
「アンタのやつれた顔を見れば分かるさ」
丸メガネのレンズを下げ、マガリは上目遣いになる。
「会社へのアクセスが良い物件に引っ越したい、そうだろ?」
何もかも言い当てられ、二の腕に鳥肌が立つ。
「おっしゃる通りです」
気づけば前のめりになっていた。
「マガリさんってもしや超能力者!?」
マガリは咳払いする。
「年の功ってやつさ」
マガリは僕のそばを通り過ぎると、古びた木戸のドアノブを掴んだ。軋み音が辺りに響く。
「まぁ立ち話も何だ、入りなさい」
マガリは枯れ枝のような掌で手招きする。
「は、はい」
意を決して玄関をくぐり抜けた。が、室内に足を踏み入れた途端、目を瞬かせる。丸いガラステーブルを挟んで並ぶ革張りのソファに、部屋を仕切る白いパーテーション。あとは飾り気のない四角い照明があるだけのシンプル過ぎる内装に、拍子抜けしてしまう。
「もっと不気味なもんを想像したろ?」
マガリはニヤリとする。
「いやそんな」
否定するも二の句が継げなかった。
「最初はよく言われるよ。『何でこんなに外と内が合ってないのか?』ってね。それより早速本題に入ろうか」
促されてソファに腰掛ける。僕はマガリと向かい合った。
「会社までの距離以外、希望条件は?」
「それは、あの」
「ハッキリ言ってごらんよ」
マガリが腕を組む。僕は結んでいた口を開いた。
「今住んでる物件とほぼ同じ条件ならありがたいです」
「今の住まいの家賃と間取りは?」
訊かれて僕は現状をマガリに伝えた。
「それは中々良い物件だね」
「安い家賃の割に部屋が多くて広いのは魅力的なんですが……何せ田舎過ぎて交通が不便で」
「でもそれだけ好条件が揃ってんだ。アンタも承知のうえで契約したんだろ?」
「それが」
僕は頭を掻いた。
「入社してから知ったことなんですが、うちの会社は頻繁に異動があるんですよ。それも決まって都市部の支店にばかり配属させられて……だから田舎より都市部で暮らした方が賢明なのかと」
「その上やはり費用と部屋のグレードは譲れない?」
僕の意見を継いだマガリに苦笑する。
「そんな都合の良い物件あるわけないですよね?」
「ないね」
マガリは即答した。
「あるならアタシが見てみたいよ」
「……ですよね」
僕はゆっくりと立ち上がる。
「いくつか不動産屋を回ってみたんですが、軒並み同じ答えが返ってきました。やはり一度条件を見直さないといけませんね」
踵を返した僕を、
「待ちな」
マガリが呼び止める。振り返るとマガリが不敵な笑みを浮かべていた。
「それなら今あるものを移せば良いじゃないか」
思わず眉根を寄せる。
「どういう意味ですか?」
「こいつの出番さ」
マガリは懐を探り、一枚の紙切れを摘み出した。
「それは?」
「『引っ越す物件』の賃貸借契約書だよ」
首を捻る僕に構わずマガリは続ける。
「これに契約するとね、今暮らしている物件がまるごと勝手に移住先へ移ってくれるのさ」
「物件が勝手に?」
「間取りも家具も何もかも全部ね」
僕は吹き出した。
「またまたぁ、そんなことがあるわけ」
「ないと思うなら一度試してごらんよ」
マガリは契約書を鼻先に突き付けてきた。
「今なら無料で試せるから」
「はぁ」
煮え切らない僕だったが、
「まぁタダなら」
しぶしぶ承諾した。
「決まりだね」
「今ここでサインを?」
「ああそうさ。ただしそれ以外にもやってもらうことがある」
マガリは人差し指を立てた。
「今からアタシの言う通りにするんだよ」
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