つながっている。

1/1
6人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
──ひどい雨に降られたものだ。遠くでは雷が聞こえ鼓膜に本能的な恐怖を叩き込んでくる。花散らしの雨には些かはやい気がするが、天の気まぐれはときに無慈悲な判断をくだす。俺も例に漏れず天の気まぐれを頭から盛大に受けたうちの一人だ。 「──くっそ、雨が降るなんて聞いてねえ……!」 雨宿りのさなか、隣を見れば椅子に腰掛ける幼い少年がひとり。陶磁器のようになめらかでまるい頬は突然の雨に降られたせいで色がなく長い睫毛に乗った雫がまばたきの度に静かに散る。少年は雨に降られた花見客が散り散りになっていくさまを見つめながらかすかに眉を顰めた。 「──わすれもの」 俺は少年の視線の先を追う。雨で烟る視界のなか、酒宴に興じていたらしい名残である缶がいくつか木の根元に転がっている。中身を飲み干したあとに役目を終えたそれは持ち主の手元に帰ることはなく、ただ雨の下で骸を横たえていた。──突然の雨にゴミを回収し忘れたのか、それとも、ポイ捨てか。いずれにせよあまり気持ちのいいものではない。俺が眉間に皺を寄せていることに気付いたのだろう、少年はこちらを見上げて首を傾げていた。 「なんで怒ってるの?」 少年の問い掛けに俺は答える。 「いや、ポイ捨ては駄目なことだろと思って」 「だめだね」 「だから怒ってたんだ」 俺の言葉に、少年は不思議そうな顔をした。 「ぼくたちが拾えばいいんじゃないの?」 「は?」 思わず素っ頓狂な声を上げたのも無理はないだろう。なんで俺が拾わなければならない。他人の不始末を自分が拾うなんて、なるべくなら誰だってしたくないはずだ。俺は歳の差も忘れて少年を睨めつける。 「なんで俺らが」 絞り出した声は少しばかり気力が削がれていた。少年は濡れた睫毛を上下させ、視線の先の缶を指差す。 「ここはゴミ捨て場じゃない。桜が、かわいそう」 「だから、誰かが拾うって──」 少年はわずかに、悲しそうな顔をした。 「その誰かが来てくれなかったら、ずっとあのまま」 「──っ」 ──その言葉を聞いた瞬間、俺は無意識に息が詰まったのを感じた。 たとえば店に入った時に商品が乱雑な並びをしておらず、きれいに整頓されているのは並べてくれる『誰か』が居てくれるから。床が汚れていないのも掃除をしてくれる『誰か』が居るから。二十四時間開いている店は『誰か』が必ず居てくれるから成り立っている。店に限った話ではないが、つまりはそういうことだ。 自分は見えない『誰か』によって支えられている。 「いってくる」 少年は俺の顔を見、桜の木の根元を見、雨宿りの恩恵を抜けて勢い良く駆け出した。足元で濁った水が跳ねる、跳ねる。 俺はその背を呆然と見送り──舌打ちをして、小さな後ろ姿を全力で追い掛けた。 「クソ、本っ当に……!!」 今日は散々だ。雨に降られるわ、小さな子どもに諭されるわ、まだ雨も止まぬなか全力疾走をする羽目になるわ。本当にツイていない。自分史の『テンションの下がったことリスト』に間違いなくランクインする、 ああ、──でも、でも。 「おじさん、来てくれたんだ」 少年の花ひらくような笑顔を見たとき、割とそんなことはどうでも良くなってしまったのも事実で。 俺はわざとらしく仏頂面を作って答えた。 「俺はまだお兄さんだ。……よし、そんじゃあここらの缶を全部拾うぞ!!」 この先来る『誰か』が、少しでも素敵な景色を楽しめるように。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!