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 中間試験が本格的に始まった。  上級1年生のクラスの前期科目は、ほぼ座学のみで固まっている。  試験問題は難問が多かったものの、おおよそセシルの予想通りの範囲であった。そうして1週間に及ぶ必修科目の試験もいよいよ最終日。セシルが一番懸念している水泳試験の日がやってくる。  午前中は第二言語の試験なので、セシルは余裕で解いた。  そして早めに終えて廊下に出ると、中庭で座り込んでいるウォルターが見えた。彼も早めに終わったらしい。  ウォルターは冷めた目で芝生の中の石を見つめている。  セシルは彼の背後まで近寄ると、肩越しに石を覗き込んだ。 「何見ているの?」  ウォルターはセシルのほうを振り返ると、わざとらしく意外そうな顔を作った。 「まあ! セシル先生がオングレの言葉を喋ってる!」 「そう、練習したの。イントネーションは大丈夫かしら?」 「上手上手! ネーティブみたい」 「立派なオングラン人の両親のおかげだわ」 「俺と一緒だ!」  ふふっと2人は小さく笑った。  アルマン語の試験が終わった今、無理して外国語で会話する必要がなくなったのだ。 「試験は上手くできて?」 「聞くまでもないだろ?」 「さすがだね。いい先生に恵まれてる」 「そうみたいだ。ちょっと鬼怖いけどな」  ニカっとウォルターが笑った。  セシルは彼の側にしゃがみ込むと、真似するように石をじっと見た。その上には小さな蟻が列を作って歩いている。 「昆虫が好きなの?」 「どうかな。ただなんとなく、蟻の社会は人間の社会と同じだな~って」  セシルは首を傾げた。 「集団で生活しているから?」 「さすがセシルちゃん、やりぃ」 「……まじめに答えなさいよ」  セシルはこの3ヶ月間の付き合いで、ある程度ウォルターのことが分かってきた。彼は基本的にヘラヘラしているようだが、やると決めたことにはちゃんと取り組み、根は意外と真面目だ。  ウォルターはククと喉の奥で小さく笑うと、蟻の列をなぞるように指差した。 「蟻のコロニーも階級制なのは分かるね? 働きアリがいて、兵隊アリがいて、王アリがいる。みんな生まれた時に役割が決まって、それに忠実に働く」 「けれど、自身の実力で出世できない時点で人間と違うわ」 「ククク、セシルちゃん強気だね。商人の娘らしい。でもほら、実力云々以前に、人間の中にも役割に逆らえない人達がいるだろ? 王アリとか、補欠の副王アリとか、な?」 「……ええ、まあ」  セシルはウォルターの顔をみた。  彼は何ともないような表情で、言葉を続けた。 「王アリはともかくして、補欠は補欠だからさ、自分の将来はいつまでも不透明なんだよね。でも、それがなんだ」 「…………」 「役割には逆らえない。そのために、産んでもらったんだから」  そう言って、ウォルターはセシルの顔を見つめた。  何かの反応を期待しているようだ。  ウォルターはオングレの第二王子。言い換えれば王アリの補欠のようなもの。その比喩が分からないくらい、セシルは鈍感ではない。  セシルはしばらく考え込むと、立ち上がってスタスタと歩き出した。 「えっと、セシルちゃん? どこへ行くんだい?」 「午後に試験があるから、ウォーミングアップしてくるわ」 「え!?  ……シカト!?  今の流れでシカト!?  さすがに冷たいな~、俺傷ついた」 「どうして? アリの話でしょ」 「いや、そうだけどさぁ、なんかあるじゃん、感想とか。アリを思ってさ」  セシルは立ち止まって、唇を尖らせるウォルターを振り返った。 「私は、アリの人生に責任が取れないわ」 「へ?」 「責任が取れないから、何も言えない。アリは自分で決断しないといけないわ。アリの人生なんでしょ?」 「…………っ」  ウォルターはやや驚いたように目を見張った。 「…………その反応、初めてかも」    やや頬を染めて、彼は感心したように呟いた。  そして口元に手を当てて俯くと、プルプルと小刻みに肩を震わせた。 「アリの、!!!!」  ウォルターは盛大に噴き出した。 「真面目か! 待て、言うなら『アリ生』だろ? てか短いだろうからさ、責任とったげてよ、セシルちゃんのケチ~!」  ジト目のセシルの肩をバシバシと叩きながら、ウォルターは1人で笑いこけた。 ◆◇◇◇◇◇    午後の水泳試験はあっという間に始まる。  セシルはアンナとプールサイドで自分たちの順番を待ちながら、男子の泳ぎを見ていた。 「やはり速いわね、ウォルターさん。他の人を振り切っているわ」 「本人の前で言わないでアンナ、調子乗るから」 「相変わらず彼に厳しいわね、セシル」  会話する2人の横を、薄いピンク色の髪をした可憐な少女が通り過ぎる。  アンナは彼女を見るなり、機嫌悪そうに眉を顰めた。 「イサベル。挨拶できないのかしら?」  少女は素直に足を止めると、アンナに頭を下げた。 「ごきげんよう、アンナお姉様」 「あなた、セシルが見えなくて?」  セシルは大丈夫と手を振るが、イサベルは声を絞り出すように言った。 「失礼いたしました。セシル様」  頭を下げたままのイサベルに、アンナは続ける。 「あなた、着替え終わったばかりなの?」 「いいえ。少し髪が解れてしまいまして、直してきました」  柔らかく微笑むイサベルを、アンナは目を細めて睨んだ。  そして自分の髪からヘアピンを数本抜き取ると、アンナはイサベルの髪の毛を掻き上げて綺麗に留めた。 「ジョルダン家の恥晒しにならないように、気をつけなさい」 「はい。もちろんです。アンナお姉様」  優雅に去っていくイサベルの後ろ姿をみて、セシルが小さく呟いた。 「アンナこそ、義妹に厳しすぎよ。本当は仲良くなりたいんでしょ?」 「……適当なこと言わないで頂戴。ほら、もうすぐ女子の番よ」 「もう、素直じゃないんだから~」  アンナに背中を押されて、セシルは列に並んだ。その時、ふと腕にムズムズするような違和感があった。違和感はやがて痒みへと変わって、腕、首へと広がっていく。 「どうしたの、セシル」 「分からない、肌が痒いの」  セシルが肌に爪を立てたら、ピリッとした痛みが走った。 「ちょっと、赤くなってるわよ!」 「え、うそ!?」  セシルの腕と首には、ところどころ虫に刺されたような膨らみがあって、広範囲に腫れ上がっていた。あまりの痒みにセシルがつい掻いてしまう。そこから血が滲むのがみえて、セシルは慌てて腕を強く握りしめた。 「ダメ、跡が残っちゃう!」 「大丈夫!?  セシル! 先生、先生!!」  騒ぎを聞きつけて先生たちが駆けつけた。応急措置で軟膏を塗られ、なんとかかゆみは抑えられたが、セシルの肌はピリピリと痛かった。 「とりあえず、養護教員のところへ行こう」 「試験は、どうなりましょう?」 「セシル! こんな時に何言っているの!」 「アンナは黙ってて! 先生、追試を認めてくださりますの?」  先生達はぽりぽりと頭を掻いて、お互いの顔を見合わせた。 「それは校長先生の判断によるが……、とりあえず、今は君の処置が優先だ」  十中八九、校長先生の許可は下りるだろう。  しかし、中間試験の結果発表は10日後だ。その時に肌が悪化している可能性だってある。そうなれば、合格点だけもらえるという措置が取られるのかもしれないが、セシルは【合格点】だけではダメなのだ。  アーサーのスコアを全部塗り替える。  そのために必死に頑張ってきた。諦めるくらいなら、こんな痛みに耐えて勝負する方がマシだ。  セシルは立ち上がると、努めて平気な顔をした。 「軟膏が効いてだいぶ楽になりました、泳げます」 「君、何を言うのかね! ダメに決まっている」 「私は校則に触れることはしていません。試験を受ける資格があります。違いまして?」 「ぐ……」  セシルの頑固さはアンナが一番よく知っている。  止めても無駄だと分かったら、親友としてやることはただ一つ。 「本人は大丈夫だと言っているのです。何があっても自己責任でしょう。ね、セシル?」 「ええ。肌荒れくらい、女子にはよくあるものですわ」  セシルが貴族令嬢だったらまた対応が違っていたかもしれないが、彼女は資本家の娘。それも、急進派と繋がりの強い商家だ。  ここで強引に留めたら、あとで何を言われるのか分からない。  検討の末、先生たちはしぶしぶ頷いた。  セシルがスタート台に立った丁度その時、会場に入ってきたアーサーが見えた。風紀委員として状況を確認しに来たのだろう。 「待て!」  セシルはアーサーを無視して、足を蹴って飛び込んだ。  水面を掻き分ける度に、肌に染みるような激痛が走る。  ピリピリと痛いが、それでもセシルは必死に泳いだ。アーサーが見ている。そう思うと意地でも華麗に高得点を取らなければならない気がした。 ☆☆☆☆☆☆ 「なぜこんな無茶なことをする?」  保健室のベッドに座っているセシルを、アーサーが呆れた顔で見下ろしている。セシルは水泳でそれなりのいい点が取れたが、期待と反してアーサーの点数よりは低かった。それが悔しくて、セシルはムスッとしている。 「無茶ではなく、合理的な判断です」 「自分の状況も分からないまま水に入って、何が合理的だ?」 「状況は分かっていますわ。試験前に塗っていた日焼け止めが悪いのでしょう」 「……何?」  アーサーは怪訝な顔で養護教員をみた。  教員は頭痛そうに眉間を押しながら、アーサーに頷いた。 「石灰を入れられているようだ」 「石灰?」 「これを見てご覧」  アーサーは教員から日焼け止めの小瓶を受け取った。  同じ銘柄のものと比べて、色がやや薄くなっている。アーサーは不可解げに首を傾げた。 「なぜ石灰なんだ?」  セシルは肩をすくめた。 「チョークに触れるとかぶれが出ますの、昔からですわ」  アーサーはまだ腫れているセシルの腕を、じっと見ながら聞いた。 「親しい人しか知らない情報か?」 「……はて。子供の頃、チョークを使う時は手袋をつけていましたわ。目が鋭い人なら分かるではなくて?」 「誰かに狙われてるのに、ずいぶんと余裕そうだな」 「商人の娘ですから、敵が多くいましてよ」  アーサーはしばらく握っている小瓶を見つめてから、セシルに言った。 「約束する。必ず犯人を見つけてやる」  セシルはベッドの上から足をぶらぶらさせて、アーサーの顔を見上げた。 「……それは風紀委員として?」  セシルを見下ろしいるエメラルドグリーンの瞳は、相変わらず冷たかった。  けれど、不思議と嫌な感じがしない。 「ああ」  アーサーは短くそう答えると、小瓶をポケットに入れて保健室を後にした。  
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