序章

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 奏国(そうこく)白琅城(はくろうじょう)の庭園にある花海堂が満開を迎えた。  春の温かい気候を好むこの花は、蕾が(ほこ)んだ当初は花弁の色は濃い桃色だが時間が経つにつれ徐々に色が薄くなり、やがて白色になる。その色の移ろいが風情を感じさせる、と二代前の皇后が好んで植えさせたという。  その華やかな見た目とは裏腹に控えめな芳香(ほうこう)が鼻をつき、大きな岩に背を預け微睡(まどろ)んでいた芙蓉(ふよう)は小さな吐息をもらした。吐息に呼応するように長い睫毛がふるりと震え、ゆっくりと目蓋(まぶた)が持ち上がる。青玉(サファイア)の瞳を何度も瞬かせながら芙蓉は欠伸(あくび)を噛み締めた。  ……どうやら眠っていたらしい。この時期はどうにも眠くなるな、と思いつつ木剣が落ちないように抱え直す。強張った体を解すため腕を上へ伸ばそうとして——止めた。  ひそひそと何かを囁く女達の声が耳に届いた。侍女頭の藍藍(らんらん)が迎えにきたのだろうか、と岩陰から声のする方向に顔を覗かせると三人の宮女が花海堂の木の根に座り込んでいるのが見えた。橙色の衣からして食膳司の所属のようだ。 「公主様もお可哀想に。野蛮国に嫁ぐなんて」 「奏王様は公主様を愛してはいないのね」 「だって愛想のない方ですもの。愛する方が無理よ」  彼女達が楽しげに話をしているのは芙蓉の主人である第一公主、月娟(げつえん)のことだというのはすぐに分かった。  ——好き勝手なことを言ってくれるなぁ。  その会話の内容がとてつもなく不愉快で芙蓉は柳眉(りゅうび)をひそめる。  芙蓉がこの場にいると知らない三人は皮肉を織り交ぜながら軽快に言葉を交わした。とても楽しそうだ。 「けど、清王はとても容姿が整っていると聞いているわ。美男子で、向こうの女官達から人気が高いそうよ」 「公主様は見た目だけはお美しいからきっと清王の眼に留まるわ」  いつもならここで感情のままに怒鳴りにいくが今の自分の立場を思い出し、深呼吸を一つ。芙蓉が心を落ち着かせようとした時、 「あら、それは無理よ。だって、あんな性格よ? 野蛮王はとても短気だと聞くしきっと殺されるに決まってるわ」  馬鹿にするような宮女の笑い声が癇に障り、芙蓉は舌打ちと共に手にした木剣をわざと離した。  カラン、と庭園に響く派手な音に三人の女官は面白いほど肩を跳ね上げる。それを横目で見つつ、芙蓉は緩慢(かんまん)な動作で木剣を拾い上げた。 「ふ、芙蓉殿」  口元に黒子がある宮女が顔を蒼白にさせた。
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