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「このことは誰にも言うでないぞ。儂とおぬしだけの話じゃ」
そう話したのはほんの三日前の事。
殿は明智光秀が謀反を起こすことを知っていたのだろうか。
怒るわけでもなく悲しむわけでもなく、ただ淡々と話をしていたことが印象に強く残っている。
殿と初めてお会いしたのは、宣教師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノの護衛として謁見した時だった。
日の本で今、一番強い殿様だと聞いていた通り、織田信長という人は、ただそこに居るだけで圧を感じ、ひれ伏さずにはいられないような佇まいを見せていた。
私の姿を見て殿はすごく驚いていたことを覚えている。
肌の色が黒いのは墨を塗ったかのようだと半信半疑で、着物を上半身脱がせたり風呂に入れられゴシゴシとこすられた。
白くなるどころか汚れが洗い流されたせいで、余計に黒く光ってしまった。
それを見た殿は目を見開き、愉快だと笑った。
肌の色が黒いというだけで虐げられ、奇異な目で見られることには慣れている。
けれど、殿はこれまで会ってきた者たちとは明らかに違っていた。
殿は何が気に入ったのか、ヴァリニャーノに頼み込み私を自分の家臣に迎えたいと言い出した。
奴隷として生きていくことが決まっている身としては、どうでもよかった。仕える主が変わるだけだ。
だが、その考えが間違っていると気付くのに時間はかからなかった。
殿は私を弥助と名付け家まで与えてくれた。
腰刀まで与えて下さり、家臣として殿の御傍にいることを許された。
殿は暇を見つけては私に祖国の話をせがんだ。
伝え聞く冷酷で残虐さは一切感じさせず、子どものように目を輝かせ私の話を夢中で聞いてくれた。
人として認め家臣として扱ってくれる殿は、私にとっては神とも等しい存在だ。
殿の下命ならば、己の命に代えても成し遂げる決心をしていた。
それなのに……。
殿はやはり残忍なお人だ……。
闇が白んできた頃、突然の報に耳を疑った。
「敵襲! 謀反だ! 明智光秀の謀反だぁぁあああ!」
思いもよらぬ襲撃に皆右往左往している。
急いで殿の寝所へと向かう。
「失礼」
ひと声かけて戸を開けると、殿は座って目を閉じていた。
「光秀の謀反だと騒いでいる阿呆がいるが、それはまことか?」
信じたくないのは分かる。
殿が一番信頼していた家臣だ。
自分もすぐには日向守殿が謀反を起こしたなどと信じられなかった。
けれど、嘘でも偽りでもなく、明智光秀率いる軍勢が攻めてきていた。
「まことにございます。すぐにここからお逃げください」
殿は怒るわけでも怒鳴るわけでもなく、ただフッと笑みをこぼした。
「あのクソ真面目な惟任め。タヌキオヤジに何を吹き込まれたのやら。まんまと唆されおって、馬鹿なヤツだ」
そう言うと、殿はすっくと立ち上がって弓矢を持った。
「殿!」
そう叫んだ私に殿は、片方の口角を上げた笑みを浮かべた。
「是非に及ばず」
それだけ言うと、殿は敵陣へと向っていった。
飛んでくる火矢が建物を燃やし、斬っても斬っても後を絶たない敵襲。
殿も何本も弦を切りながら必死に応戦していた。
白い着物が赤く染まっていく。
返り血なのかはたまた己の血なのか、見分けもつかないほどだ。
火に包まれるのも時間の問題か。
使える弓もなくなり槍で戦う殿を、人気のない方へ案内する。
これで終わりか。
殿に召し抱えられた時から、殿と共にこの命も尽きるものと覚悟はしていた。
その時が来た――そう思ったとき、殿の静かな声が聞こえてきた。
「弥助、儂との約束を覚えているか?」
突然のことで、瞬時に思い出せずにいると、いつもの眼光鋭い目つきで睨まれた。
その瞬間、三日前の話を思い出した。
それは、私の故郷へ連れていけという話だった。
殿が私の国へ行きたいという事は誰にも話すなと言われた。
今更誰かに話したところで、殿が南蛮貿易に力を注いでいることは周知の事実。
決して新しい物好きだからという理由ではない。
貿易によって利益を得て、外国の武具をいち早く戦に取り入れた。
キリスト教を布教させることで、仏教徒の勢力を衰えさせようともしていた。
南蛮貿易は天下統一のための政策のひとつに過ぎない。
世界地図を見た時とても小さく書かれた日本を見ても全く驚きもしなかったのは、すでに世界を見据えていたからなのか。
だから殿が私の祖国を訪れたいと言ったところで、誰も驚きもしないだろう。
それなのに、殿は内密にと念を押した。
決して意味のないことはしないお方だ。
いったいどんな意味があるのか、この時まで全く分からなかった。
けれど、殿の真っすぐな瞳を見て、すべてを理解してしまった。
いつも私なんぞには考えも及ばぬことを言い出しやり遂げる殿。
殿の言う事は絶対で、逆らうことなど許されない。
けれど、こればかりは命令に従うことは出来ない。
「その約束、反故にしたら許さぬぞ」
私が口を開く前に、殿が釘を刺す。
「及び難いことにございます。私は殿と共に――」
「そうだ。儂と共に行くのだ。弥助が案内するのだ。弥助の目で儂に世界を見せよ。儂の願いを叶えよ」
こんな状況になってもなお、悲壮感はおろか無念の表情さえ見せず、願いと言われてしまっては、断る術がない。
ズルい人だ。
ガラガラと音を立てて崩れる建物。
逃げる場所もない。
無力な私にどうしろというのか。
涙がとめどなく流れる。
「儂の身体は火にくべよ。儂と分かる物すべてだ」
拭う事も出来ずダラダラと涙を流しながら、項垂れるように頷く。
「そんな汚い顔を儂に見せるな」
そう言って殿は笑った。
そしてとても優しい顔で言を付け加える。
「弥助よ、万が一明智に見つかったとしても、やつはお前の命は奪わぬ。ひどい言葉を浴びせたとしてもそれは弥助を救うための言葉だ。どんなに惨めであろうとどんなに苦しかろうと決してその命捨てるでないぞ」
それが殿と交わした最後の言葉となった。
言われたとおりに殿から着物を剥がし、燃え盛る火の中に身体を放り込む。
自身の服も脱ぎ首を包んで死に物狂いで焼け落ちる建物から這い出た。
外には敵がウヨウヨしていて、信長の首を探せと騒ぎ立てている。
薄暗い闇の中では、この身を隠すのは容易だったが見つかった時のために首はいったん地中へ埋めた。
そして、殿の息子である信忠様がいる二条御所へと向かった。
そこにも明智の軍勢がいたが、すでに信忠様は妙覚寺へと逃れていたが時すでに遅く、信忠様を見つけた時には自害されていた。
迷っている時間はない。
信忠様と分かる物を身ぐるみはがし近くで亡くなっていた家臣の服を代わりに着せ、首は近くの地面を掘って埋めた。
「弥助だ! 弥助がいたぞッ!」
見つかった。
そう思ったときには四方を敵に囲まれていた。
すでに何十人と斬っていた手はしびれ、刀を持っていることも出来なくなってきた。
ここまでか……。
殿の命にも従えず、私は何をやっているのやら……。
そう思ったとき、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「放っておけ」
みると、こたびの主犯である明智光秀がそこにいた。
なぜ、どうして、そんな言葉が込み上げてくるが、今更何を聞いたところで元には戻らない。
「痛みつければ信長の居所を吐くかもしれませんよ」
家臣の一人が異を唱えると、光秀は首を横に振った。
「やつは牛と同じだ。田を耕すに使う道具と同じ。何も知るはずもない。捨ておけ。そもそも日の本の者でもないし、殺すにも価値のないモノだ。だが、目障りだ。南蛮寺へ届けておけ」
それだけいうと、明智はその場を後にした。
私は手足を縛られ南蛮寺へと預けられた。
そこでの私は厄介者でしかない。
好きにしろと放り出された。
すぐさま殿のもとへと急いだ。
掘り起こした首を陶器の入れ物に移し、それを背負って海を目指す。
何度か夜盗に出くわしたが、大抵は私の姿を見て向こうから逃げ出した。
ようやく海へと辿り着き、小さな舟を見つけ大陸を目指す。
小さな船は頼りなく、大きな波に呑み込まれ何度も沈みかけたが、必死にくらいつき大陸を目指した。
しがみついていた船もすでに原型がなくなり、干からびそうになる頃ようやく陸地にたどり着いた。
殿、ここが『明』という国です。
広大な土地が広がる国。
さあ、ここから世界をめぐりましょう。
一緒に。
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