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「おぎゃああぁ、うぇっ、おぎゃあぁっ」  元気な産声が響く。  忠順と伽椰子の間に生まれたのは、姫であった。 「なんと元気な姫よ」  自分の腕に抱いた小さな子の生命力に感動した忠順がつぶやく。 「千登勢が静かな子でしたからね」  伽椰子は側にちょこんと座り、物珍しそうに妹を見る千登勢の頭を撫でた。  小さな姫は「美尋(みひろ)」と名付けられた。  忠順は腕に美尋を抱きながら、前に座ってきる千登勢に話しかけた。 「千登勢、そなたはこの家の跡取りぞ。父はこれから、国に戻らねばならない。父が江戸からたった後は、そなたがこの家の跡取りとして、しっかりいたせ。母や美尋の助けとなれ。頼んだぞ」  神妙に父の話を聞く千登勢の顔つきが、少しだけ大人びた。  父から頼りにされたことで、跡取りと言う自覚が幼いながらに芽生えたようだった。 「父はいつでもそなたたちと共にある。父を忘れるでないぞ」  茶目っ気たっぷりに言い添えて、千登勢のぷくんとした頬をつついた。  迫りくる家族との別れを惜しむように、忠順は子供たちと妻をぎゅっと抱きしめた。 ◇ ◇ ◇  江戸の大名屋敷を出発し、帰路につく。  臣下の者たちは、生まれたばかりの御子を置いて、藩に戻らねばならない忠順の気持ちを慮った。  行きにポソポソと話をしていた者たちも、神妙な面持ちで静かにしている。 「さて。行きの話の続きをしようではないか。そなたら、江戸での土産話を持ち帰るのではないか?私にも話してみせよ」  後ろから突然声をかけられて、二人は飛び上がるほど驚いた。 「と、殿!!!」 「なぜ、ここに? 輿に乗られたのでは?」 「輿には、漬物石が乗っておる」  神妙に答えた忠順に、二人が笑った。  慌てて、口元を抑えて頭を下げる。 「どうせ運ぶのなら、漬物石が乗っても良いではないか。私は歩けるのだからな」  そう言って忠順はカカカと笑い、慌てて袖で口元を隠した。 「まずい、爺に見つかったらまた叱られる。さ、また、楽しく我が藩に戻ろうぞ!」  忠順の言葉に、家来たちは笑顔で頭を下げた。    家来に愛された藩主の参勤交代の様子であった。 〈了〉
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