猫かぶりな私たち

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 突然の衣擦れの音に、びくりと烈が肩をはねさせる。赤くなった耳に届く音から意識をそらすようにか、わざとらしく音を立てて散らばったペンを拾い上げる。 「……ねぇ、烈」 「なんだよ……なんで脱いでんだよ」  私の手には、袖を脱いだカーディガン。いぶかしげに眺めてから、半袖から目をそらすように烈は目を泳がせる。衣替えがないから春の陽気に汗ばむ中で着ていたくなかった冬服ではない私は防御力が低くて、代わりに攻撃力が高くて……ってそんなことはどうでもいい。 「知ってる? このカーディガンはね、かぶると猫になるの」 「……はぁ?」  何を言っているんだ、と心から理解できない様子の烈の腕にカーディガンを押し付ける。  困惑の目が私とカーディガンの間を行き来して、一つ、かすかな吐息がこぼれる。  ――きっと、気づいただろう。これが、ある意味で私の意趣返しであり、そして烈の「上手い表現」を否定する行動なのだと。  そのカーディガンをかぶって猫にならなければ、「実際に猫をかぶっている」という烈の表現は現実の輪郭を失う。  黒々とした瞳をした烈が、まるで真っ白なシーツを洗濯竿に広げるようにして大きくなびかせて。  果たして、烈は私の嘘を暴くべくカーディガンをかぶって―― 「にゃあ」  土下座でもするように、崩れ落ちて一言、硬い声で鳴いて見せた。  明らかに作った声。演技。  へたくそ、大根役者と言ってやりたくて、あるいは無様な姿を笑ってやりたくて。  けれどどうしてから喉がつぶれたように言葉が出てこないのはきっと、疑う私がいたから。  さっきまで羞恥に耳やら頬やらを赤くしていた烈はけれど、猫フードをかぶっている今、まるで羞恥心などどこかに置き捨ててきたように、ただ「にゃあ」と繰り返す。  恥ではないというように。  恥を感じる心を失ってしまったように。  ――まるで、本当に猫になってしまったように。 「……烈?」 「にゃ」 「烈、もういいってば」 「にゃあ」  それはまるで脊髄反射のように、私の言葉に合わせて鳴き声だけがかえって来る。  恥はなく、表情に変化はなく、ただ何も悟らせない黒々とした瞳がじっと、私のことを見上げていた。  背筋に強烈な悪寒が走り抜ける。  嘘から出た真。あるいは言霊という表現をすべきだろうか。  私が告げた言葉が世界に働きかけ、烈を猫に変えてしまったんじゃ――  唐突に、足元が崩れ落ちるような恐怖が押し寄せた。体に訪れた浮遊感は、膝から力が抜けたから。  すがるように手を伸ばし、震えた手で烈の頭部を覆うフードを、コートのように肩にかけられたカーディガンをはぎ取って。 「……もういいのか?」  静かな声が、鼓膜を震わせた。 「え?」 「なんだそのキツネにつままれたような顔」 「え……え?」 「お前が言ったんだろ。猫の振りをして見せろ、って」  信じられなかった。  これだけ心配したのに、これだけ不安になったのに――不安、に?  視界に、影が落ちる。「あーあー」なんていいながら、地面に落ちて砂で汚れたカーディガンを払った烈が、それを私の体にかける。  不安。  そうだ、怖かった。突然、烈が烈ではなくなってしまったと、恐怖したのだ。烈がいなくなるということに、心が締め付けられるように痛んだのだ。  どうして――気づいてしまった想いに、ぶわ、と頬が熱くなる。 「……日射病か? 顔、赤いぞ?」  言いながら、日差しから遮るように、カーディガンがかけられ、フードが頭を覆う。  猫耳の、猫になるためのフードが―― 「……にゃあ」  恥ずかしさを隠すために、私は一つ鳴き声を上げた。  参った、と。  やられた、と。  あるいは――好きだよ、と。
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