いざなう歌

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 四方をコンクリートの壁に囲まれた四畳半、深山は思った。  「此処が取調室かぁ……」  つい昨日までは(こんな場所に縁などない。テレビの刑事ドラマの世界だ)程度の認識しか彼は持っていなかった。  (それがどうだ、こんな場所に来るハメになるなんて……)  ビクビクと周囲を見廻していた深山だったが、警視庁の市田警部に「それでは話を聞こうか」と、うながされると、素直に自供を始めた。「北岡先生ほど奇妙な研究を始める人も珍しかったですよ。脳科学を飛躍的に発展させるつもりでいたらしいですが、はじめは助手の私でも奇妙な妄想を抱いていたとしか思えませんでした」  「と、言うと?」  「心臓には若干ですけど脳組織があるんです。なんでそんな機能がついてんのかわかっていませんが、それを先生は人の魂を閉じ込める器(うつわ)と仮説をたてていたんです」  「器?」  「よく人は胸を指さして、魂がどうのとか、ハートがどうのと言うじゃないですか。その研究をしてたんです」  「そんなバカバカしい」  「いえ、決して、そんなふざけたもんじゃありません。現実に心臓を移植された患者の性格が臓器提供者に似てくるという事例が報告されているんですよ」  市田は眉をしかめた。  研究の協力を依頼された、ロック歌手三池裕也(みいけゆうや)は北岡に渡された録音した素材をもとに新作の作曲を始め、完成したときに悲劇が起きた……。曲の録音に参加したミュージシャンがお互いに殺し合いを始めたのだ。  「それが、なんであんな事件の発端になったんだ!」  市田は机を叩いた。  取調室のコンクリートに音が反響して深山の鼓膜を揺らす。  深山は単純に目の前の警部におびえ、喉を詰まらせながら、こう答えた。  「せ、先生は心臓は性格を記憶し、鼓動の音で脳に影響を及ぼすのではないか考えていました。それが移植された場合、心臓はクランケの脳に、もとの人間の性格をコピーさせようと働きかけるんです」  「コンピュータが新しい情報をインストールするみたいにか?」  「ええ、それを証明する為に、心臓の鼓動の音を録音し、電子音に転換する装置を開発したんです。それがあの歌の基礎になったんですよ」  「そんなものが歌になるのかね?」  「自分でも耳を疑いましたね――先生が渡したのは心臓の鼓動を電子音に変換しただけのものでした。それなのに三池の作曲家としての才能は本物でしたよ」  「歌詞をつけて完成させてしまったというんだな」  「ええ、電子音を本譜に書いてアレンジして、あんな耳に聞こえがいいメロディにしたんです。まったく驚きましたよ」  市田は深山の胸ぐらをつかんだ。  「なんで、あんな奴の鼓動をもとに曲を作らせたんだ! 性格をコピーするなら危険とは思わなかったのか!」  「そんなの先生じゃなきゃわかりませんよ」  北岡が鼓動を録音した人間は連続殺人犯、藤堂智司(とうどうさとし)だった。藤堂は曲の効果が予想出来ていたのか、死刑執行の前、鼻歌混じりだったらしい。  市田は悔しげに叫んだ。  「藤堂の野郎! この事が分かっていたのか! わかっていたから、北岡の研究に協力したんだ!」  北岡は三池達の事件を知らされたあと、いきなり深山に三階の研究室の窓から突き落とされていた。  口封じだ。これで、どうして北岡が刑務所の藤堂とコンタクトをとろうとしたのか――肝心な真相は闇の中となった。  深山は藤堂の様に鼻歌を始めながら、薄気味悪く笑った。  「さっきから、あの音楽が耳から離れないんです。とても心地いいんですよ、殺人者からの誘いって……。今もどっからか聞えて来るんです」  市田は眉をひそめた。  「どっから聞えてくるか教えてやろうか? そりゃ、てめえの心臓の鼓動だよ、お前は藤堂の心臓から創作された曲で脳味噌どころか魂まで汚されたんだ!」  「へえ? なんですって? 歌が大すぎて聞こえづらいんですがぁ?」  挑発ではなく、本当に深山は聞こえづらそうだ。両手を自分の耳に当てて、市田の言葉を聞こうとしている様子だ。  そんな深山を市田は罵った。  「完全にイカレてる……。てめえは、それに気がついてねえ大馬鹿野郎だ!」  だが、怒鳴られても深山の気味の悪い笑顔が消える事はなかった。                      了
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