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【27】『あんなこと』
その週の金曜日、桜庭を暴行した鈴木龍次が退学処分になったと正式に発表された。
翌日の土曜日、校長と教頭、担任の松坂、生徒指導部長の先生が桜庭の家に謝罪と報告に来た。
警察の方はもう少し時間が掛かるということだった。
両親は桜庭に同席するよう言ったが、桜庭は拒否した。
自室で音楽をイヤホンで聞きながら、時間が過ぎるのを待った。
校長達が帰って、父親から話の内容を聞かされると、桜庭は一言「分かった」と言って直ぐに桐生に電話を掛けた。
桐生は今日、桜庭から前もって聞いていて、先生達が来ることを知っていた。
桐生とは事件の話が終わり次第、遊びに行くことになっていた。
桜庭は桐生と電話を終えると家を飛び出した。
桜庭が観たい映画があったので、シネコンの入っているショッピングモールで待ち合わせをしていた。
桐生が待ち合わせの場所に立っている。
桜庭は全速力で走ると、桐生に抱きついた。
桐生が「おっと」と笑いながら、桜庭を抱きしめる。
「しゅんくん…しゅんくん…」
桜庭はポロポロと涙を零す。
「もう、終わったんだよ」
桐生が静かに言う。
「もう全部終わったんだ」
「しゅ…」
桐生はふふっと笑うと、桜庭の丸いおでこにキスをした。
「しゅんくん!?」
桜庭が涙で濡れた目を丸くして桐生を見る。
「驚いた?」
桐生は悪戯が成功したように笑ってる。
「お、おどろいた…」
「涙、引っ込んだだろ」
「う、うん…」
桐生は指先で、桜庭の涙に濡れた頬をそっと拭った。
「今日は莉緒を悩ませることがひとつ無くなったんだ。
楽しい日にしようぜ」
「うん!」
桜庭がにっこり笑うと、桐生が今度は頬にキスをした。
「ちょっ、駿くん、な、なに!?」
「だって莉緒、かわいいんだも~ん」
出た…天然駿くん…
桜庭は半ば諦めながら、「今度キスしたら夕食は駿くんの奢りだからね!」と真っ赤になって言った。
月曜日、桜庭と桐生がいつも通り一緒に登校すると、学校は大騒ぎになっていた。
桐生が桜庭にキスした場面を、同学年の生徒に偶然見られていたのだ。
おでこのキスは撮られていなかったが、頬にキスしたところはバッチリ撮られていた。
それから、桜庭と桐生が抱き合ってるところ。
シネコンにじゃれ合いながら向かうところまで撮られている。
元々噂はあったが、決定的な証拠が出て来て、桐生と桜庭は生徒達に何重にも囲まれた。
桐生と桜庭は「付き合って無い。親友」と繰り返すが、周りは黙っていない。
「じゃあ何でキスすんの?」
「おでこにキスもしたんだよね~?」
「ラブラブ過ぎて眩しいんですけど」
桜庭は桐生が「うるせぇ!」と言って、それで終わるかな、と期待していたが、見事に裏切られた。
桐生は平然と「莉緒にとって大切な日だったんだよ。それなのに莉緒が泣くから、かわいくて」と言い放ったのだ。
周りがギャーと黄色い悲鳴を上げる。
「かわいい?桐生にとって桜庭ってかわいいの!?」
「見りゃ分かるだろ。
莉緒は超かわいいよ。
お前らの目は節穴か?」
桜庭はもう顔を上げることが出来なかった。
顔が熱くて、耳まで熱い。
綾野と谷川は爆笑して、涙まで流している。
それからHRの時間がきて、他のクラスの生徒は居なくなったが、
『桐生が桜庭と恋人宣言!!』
『学校一の美形カップル誕生!!』
『桐生が超かわいいと桜庭にベタ惚れ!!』
という噂が学校中に浸透するのに、午前中しか掛からなかった。
綾野と谷川は「桐生の天然が炸裂しちゃったな~。莉緒くんお気の毒様」と言ってくれたが、桜庭は恥ずかしくて堪らなかった。
元凶の桐生に至っては、「みんな大袈裟だな~」と呑気に言っていて、気にする様子も無い。
そんな桐生が帰りのHRが終わると「莉緒、1時間くらい待てる?」と言い出した。
桜庭は予定が無かったので、「大丈夫」と返事をした。
綾野と谷川が「じゃあ俺らも残ってるから心配すんな」と言った。
桐生は「サンキュ」と言うと、教室を出て行った。
桐生は真っ直ぐ美術部に向かった。
部室のドアを開けると数人の部員がいて、桐生を見ると、ヒソヒソ話す生徒もいた。
桐生はそんな視線を無視して目的の人物に近付く。
その人物はまだ絵を描く準備をしている最中だった。
「大島、ちょっといいか?」
大島は顔を上げると、「よ!有名人」と笑った。
「1時間…いや30分でもいい。
話があるんだ」
大島はちょっと考えると「ここでか?」と訊く。
「いや、外で」
「いいよ」
大島が即答して、二人で廊下に出る。
「話って何だ?」
そう訊く大島の目を桐生は正面から見据えた。
「お前、『お助けマン』が誰だか知ってるよな?」
大島も桐生から目を逸らさなかった。
「知ってるよ」
大島は桐生の目を見ながらアッサリ言った。
「誰だよ?」
「それは言えない」
「何で?」
大島は一呼吸置くと、話し出した。
「お前も莉緒くんに聞いただろ?
『お助けマン』は莉緒くんが喜ぶことだけをしたいんだ。
お前が心配するようなことは無いんだよ」
「質問の答えになってねえよ。
そいつは誰で、お前は何でそいつの正体を言えないんだよ」
「なあ、桐生」
大島がふにゃっと笑う。
「お前こそ、何でそんなに莉緒くんの為に一生懸命になるんだよ?」
「それは…俺は莉緒を守るって決めたから」
「何で?」
「お前は知らないから…」
桐生が苦しそうな顔になる。
「莉緒が暴行に遭って…血塗れの現場を見て無いから。
それに莉緒はただ殴られただけじゃない。
あいつは…鈴木は莉緒を…」
「……」
「だから、俺は莉緒を守るって決めた。
学校でもプライベートでも、楽しく過ごせるようにしてやりたいんだ」
「それでキスまでしちゃうのか?」
大島がちょっと笑って言う。
「それは…莉緒を泣き止ませたくて…笑った莉緒がかわいくて…」
「桐生…そういうの好きって言うんだよ」
「えっ!?」
桐生は驚いて大島の顔をまじまじと見た。
大島が淡々と話し出す。
「桐生、お前には『お助けマン』の気持ちは分かんねえよ。
莉緒くんと直ぐ親友になって、莉緒くんに信頼されて、あの照れ屋の莉緒くんにお前とのスキンシップも嫌がらないで受け止めてもらえて…お前みたいな幸せな奴に、『お助けマン』の気持ちを説明しても理解出来ない」
「確かに誰とも知れない奴の気持ちなんて分かんねえよ。
今問題なのは『お助けマン』がやってることは普通じゃないってことだ。
いつ『お助けマン』が暴走するか…」
「『お助けマン』は暴走なんてしないよ。
桐生、俺を信じてくれよ。
俺は『お助けマン』を良く知ってる。
正体は訳があって言えないけど、『お助けマン』は莉緒くんが嫌がったら直ぐに消える。
だから、莉緒くんが嫌がる日まで、『お助けマン』のことは放っておいてやって欲しいんだ」
「莉緒が嫌がったら…すぐに消えるんだな?」
「ああ」
「分かった。部活なのに呼び出して悪かった。
じゃあな」
大島に背を向ける桐生に、大島は言った。
「お前ももう少し自分の気持ちを考えてみろよ」
桐生は片手をひらひら振ると、そのまま立ち去った。
桐生が教室に戻ると、桜庭が綾野と谷川相手に課題をしていた。
桜庭は桐生を見付けると、嬉しそうに席を立つ。
そんな仕草もいちいちかわいい、と桐生は思う。
『そういうの好きって言うんだよ』
大島の言葉が蘇る。
「駿くん、意外と早かったね」
桜庭がにっこり笑う。
「大した用事じゃ無かったから。
待たせてごめんな」
桜庭が首を横に振ると、谷川が「桐生がもうちょっと遅かったら課題が全部終わったのにー」と文句を言う。
桐生は谷川と綾野を交互にじっと見た。
「な、何だよ…」
谷川と綾野が後ずさる。
「いや…お前らはかわいくないな」
「はぁ!?」
「キスなんて出来ない…」
「桐生が狂ったー!」
「気持ちわりぃこと言うなっ!」
狼狽える綾野と谷川を見ながら、桜庭がクスクス笑う。
桐生が桜庭を後ろから抱きしめる。
まだ教室に残っていた生徒達からヒューヒューと囃し立てる声がする。
「しゅ、駿くん?」
「莉緒は違う…」
「…なにが?」
桐生がボスっと桜庭の肩に顔を埋める。
「桐生、莉緒くんがまた誤解されるだろ。
離れろよ、ここは教室!」
「まったく…天然は次にやらかすことの予想がつかねーな」
谷川に怒られ、綾野に呆れられても、桐生は暫く桜庭から離れなかった。
その夜瀬名は、スマホを流れていくグループラインのトークを眺めていた。
神田が早速今日の桐生と桜庭の話題に食いついて、桜庭を質問攻めにしている。
『莉緒ちゃ~ん、ネタは上がってるんだよー。
俺達には正直に教えてよ~』
『だから、何でも無いんだよ、あんなこと!』
あんなこと…
おでこにキスされて、頬にキスされて…
それが莉緒ちゃんと桐生くんの間では『あんなこと』で済むんだ…
『俺も興味ある。どっちが先に告白したの?』
『明まで変なこと言うなよ!告白なんてしてねーし、されてねーわ!』
『でもチューはしたんだ~』
『卓巳!』
桜庭が怒ったクマのスタンプを押す。
『莉緒ちゃん、放課後教室で桐生くんに抱きしめられてたでしょ?何で何で?』
『何で知ってんだよ…あれは駿くんが急に…意味なんて無いよ』
『いやだー意味無く抱きしめちゃうの!?熱い!熱い!』
『卓巳、うるさいっ!』
瀬名はそこまで読んでラインを閉じた。
桜庭を抱きしめた時の感触が蘇る。
真っ白ですべすべの肌。
俺の腕の中で「ハル…ハル…」って繰り返し名前を呼んでくれたっけ
唇にキス出来なくて顔中にキスを降らせたこともあった
その顔に今は桐生くんがキスしてる
莉緒ちゃん…
今、楽しい?
幸せ?
もっともっと楽しくて幸せな日々が送れますように
その為に俺は出来ることをする
些細なことだけど…
瀬名は汚れないようにビニール袋に入れておいた黄色地に赤いチェック柄の手袋をそっと握った。
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