自動販売機が来た

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自動販売機が来た

季節は緩やかに流れていた。 (うぐいす)の声が、(せみ)に変わり、蝉はいつしか鈴虫に置き換わり、やがて北風が枯れた地表を()すりゆく。 雪の音が、雨の音となり、雨はまた鶯を連れてきて、桜の季節を()、紫陽花の匂いが感じられた頃には、鳩や(からす)が再び蝉を誘い始める。   そして花枝が十六歳の誕生日を迎えた年の夏至の頃、一台のトラックが村に入り、舗装されていない砂利道に見慣れない箱を置いていった。 村の子どもたちは、こぞってその場所に集まり、これは何だ、これはアレだと語り合った。 私と花枝もそこに行き、子どもたちに混ざって箱を眺めた。しばらくして、村役場に勤める初老の男性が、汗を拭きながら歩いてきた。その手には、ビニール袋に入った数十枚の硬貨が握られていた。 「これは自動販売機というものだよ。今日は特別にご馳走してあげよう」 子どもたちは目を輝かせた。もちろん、花枝も例外ではなく、硬貨を受け取る列に並んだ。一番年若い子から順に、自動販売機でジュースを買った。私は一番年長だったため、最後にジュースを買った。きんと冷えた飲み物に、誰もが胸を高鳴らせた。一口飲むと、口の中で泡が弾けた。これまでに飲んだことのない、甘くも好かんたらしい刺激だった。   それ以降、自動販売機がある場所は、村民の憩いの場になった。 知らないうちに手製のベンチが用意され、知らないうちに花の鉢植えがいくつも置かれた。空き缶は灰皿として利用され、それ以外の缶を捨てる(かご)には月毎に違う塗装が施された。 そうなると、そこが情報共有の場として機能するのは当然で、何の事件もない村だけれど、やれ村長がどうだの、あそこの娘がどこの誰と寝ただのと、ごく短期間で良くも悪くも噂が拡散されていった。 私と花枝のことを憐れむ声も、蔑む声もあった。狭い村であればこそ、人に親しみ、かつ否定することは避けられない。当時の私は、少しばかり、悔しい思いも持っていた。
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