思い出は捨てられない

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私は窓の外を眺める。春がやってきて、アパートの窓から見える景色は一気に華やかになった。数日前から、春風が吹くたび、木々たちが芽吹き始めた。日差しは温かく、空気は澄み切っている。近くの公園では子どもたちが遊ぶ声が聞こえてくる。空は明るく晴れ渡り、希望に満ちた日々が始まることを予感させた。リビングに置かれたテレビから流れるニュースでは、桜の満開宣言が報じられていた。 私は大変だった大学生活にも終わりを告げ、明日、就職先の寮に引っ越すことになった。もうすぐ夢だった医者になれる。悲しかったことも忘れられそうなくらいには幸せだった。 私の実家は余りに田舎で、大学に入る時に今のおんぼろアパートに引っ越して来たけれど、それも今日で終わりだ。 なんと、引っ越し先の寮の方が狭いというので、荷物をまとめる際に、随分色々なものを捨てなければならなかった。もう着ない服とか、有り余る文房具とか、そう言った類のモノも思い切って処分した。 でも。 「未来の幸せに目を向けろって言うけど、思い出もやっぱり大切……これだけは捨てられないよね」 独り言ちながら、箪笥の一番奥から、両手で抱えるのがやっとの段ボールを取り出す。 「これは、私の人生で一番の大事なものだもん!」 段ボールを開けると、出てくるのは私の彼氏だった。 全身を綺麗に入れるために、ちゃんと医学の知識を使って、丁寧にばらばらにしてある。腕、足、頭、胴体。ホルマリンを利用したので腐ってもおらず、最高のコンディションを保っている。 彼の頭を両手で大事に持ち上げて、目を合わせる。彼は舌を出し、殆ど白目を剥いたまま動かない。もう二度と別れるなんてことはない、私の永遠の彼氏。大満足の最高傑作だ。 「引っ越してからもずっと一緒だよ、みーくん!」 私はとびっきりの笑顔を、彼に向けた。
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