11人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「やっぱり今日もいる。よし! 予定通り、あの人に声をかけてみよう。きっと寂しいんだ。友だちが欲しいんだって。友だちになってあげようよ」
放課後、翔が公園のベンチに腰掛けている爺さんの方に指を向ける。その八十歳くらいの爺さんは、ベンチに座って、目の前をボーっと見ていた。
「怖い人だったら嫌だな。話しかけたら殴ってきたりしないかな?」と僕は乗り気ではない。
「そんなわけ、ないだろ」
翔が、僕のランドセルを拳で数回叩く。
「うん。そうだな。わかった。爺さんに話しかけてみよう。話しかけるのは翔だからな。この友だち計画を言い出したんだから」
「はーい、はい。わかったよ」
僕たちは、恐る恐るぼんやりしている爺さんに近づいた。
「やあ、元気?」と翔は、初対面なのにもかかわらず随分と失礼な声かけをした。
「ん? ああ、元気だ。君たちほどではないがね」
爺さんはニコッと笑い、深く頷いた。優しそうだ。
「初めまして。僕の名前は佐藤翔っていいます。で、こいつが佐藤蓮司」
翔が、勝手に僕の名前を紹介する。
「ほう、二人とも同じ苗字か。おおっ、凄いな!」
何が凄いのかはわからないが、爺さんは、まるで僕らがテストで満点を取ったのを褒めるかのように喜ぶ。
「ようやく正体不明の少年たちの名前を知ることができて良かったよ。君たち、ここ何日かいつも私を見ていたね」
「えー! 俺たちが遠くから見てたの気づいてたんだ」
翔が大声を出すと、公園にいた何人かの子どもたちがこっちを見た。
「ああ、私は魔法使いだからな。私に視線を向けた人を即座に察知できるんだ」
「「すごーい!」」
僕と翔は顔を見合わせる。
すると爺さんは、「すまない。嘘だ」と可愛らしく舌を出した。
「「えっ、嘘なのー!」」
「はっはっはっ! 君たち、息がぴったりだな!」
「仲が良い友だち同士ですからね」
僕は、翔を自慢するかのように言った。翔の方をみると「小学校に入る前からの知り合いなんですよ」と恥ずかしそうにしている。
「そうか。いいなぁ」
「良かったら、俺たちと友だちになりませんか?」
翔が予定通りに訊く。
すると、爺さんは右手をベンチの端の方に動かしかけた。けど、すぐに手を引っ込める。
その時は、ベンチの端を掴んで立ち上がろうとしていたのかな? と思っていた。
だけど爺さんは立ち上がらず、「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。喜んで」と微笑んだ。
それから僕たちは、学校帰りに公園に寄って爺さんと話をするようになった。
爺さんは複雑な理由があって最近引越してきたらしい。しかし、引越してきたばかりで、まだ近所に知り合いが一人もいないとのこと。とても寂しい思いをしていて、毎日この公園のベンチに座り、誰かが声をかけて話し相手になってくれるのを待っていたらしかった。
公園に行くたびに、今までは寂しそうで暗かった爺さんの後ろ姿が、だんだんと明るく輝いていった。
だけど、爺さんが右手をベンチの端の方に動かしていたときの記憶が頭から離れなかった。おそらく、あのベンチには何かがある。爺さんは何かを隠しているんだ。
やろうと思えば、夜中とか公園に誰もいない時間を狙って、爺さんの隠し事を暴くことは簡単にできた。
しかし、それは友だちを裏切る行為だ。僕は爺さんを裏切ることは絶対にしたくなかった。
何回も話をしているうちに、爺さんが僕も知っている有名な会社の社長をやっていたことがわかった。
「どうして今まで隠してたんですか?」
僕は訊いた。
「隠していたわけじゃないよ。ただ」
「ただ?」
「昔の話だから。今は、ごく普通の爺さんさ」
「僕だったら、大きな会社の社長やってたんだぞ! って自慢しちゃうけどなぁ」
「はっはっはっ! いいんじゃないか。ああ…私も自慢できるくらい自分を好きになれたらいいのに。蓮司くんが羨ましいよ」
爺さんはベンチの端をチラッと見た。
翔が「ん? そこに何かあるの?」と聞く。
「あ、ああ。そ、そこの地面から逞しい雑草が生えている。私は雑草が好きなんだ」と爺さんは誤魔化すように答えた。が、明らかに焦っている。おそらく、隠しているものがバレやしないかって不安になっているんだ。
「雑草が好き? 変なの。でも、今気づいたんだけどね。爺さん、たまに、そっちの方を気にしているよね。前から、ちょっと不思議に思ってたんだ」
そう言うと、爺さんの隣に座っていた翔はベンチの端っこに移動した。僕は翔の後ろについていく。
「なーんだ、何もないじゃーん」
がっかりする翔を見て、爺さんはホッとした顔を見せる。しかし、翔はしつこかった。
「あ! わかった! 下に隠してるんだ!」
翔が地面に寝転がりながら、ベンチの下を探る。爺さんは暗い顔になり、大きなため息をついた。
「何かあった?」
僕は、ワクワクする気持ちと爺さんに申し訳ないと思う気持ちが半分ずつになった状態で、翔に訊いた。
「うん。あった」
「何が? 早く言って」
「ナイフだ。ガムテープでくっつけてある」
ナイフ? 爺さんがナイフを? 爺さんのナイフなの? どうしてベンチの下に?
「隠していたの?」
僕は、恐怖で声を震わせながら訊いた。
「ああ」
「爺さんのナイフ?」
「そうだ」
淡々と答えると、爺さんは黙り込んだ。
爺さんがベンチの下からテープを剥がして、ナイフで襲ってきたらどうしよう。早く逃げなきゃ。目配せをするけど、地面から体を起こしたばかりの翔は呑気に「すげーや、カッコいいナイフ」と興奮している。
爺さんと僕の目が合う。
「誰かに使うつもりのモノではない」
爺さんは周りを気にしながら、声を落とす。
「じゃあ、何に使うナイフ?」
翔が目を輝かせた。爺さんの顔は青ざめ、手は震え、その弱々しい姿は誰かに危害を加える人には見えない。
翔に「面白がるなよ」と言うと、少し不機嫌になったが、ようやく黙り込んだ。いつも元気で笑顔なのは素晴らしいことだけど、今は楽しんでいる状況ではないだろう。
「君たちと出会ったから不要になったナイフだ」
その言葉で、爺さんが隠していたことを漠然と理解できた。翔が急に黙った。真剣な表情になったから、おそらく僕と同じことを想像しているのだろう。
どこから引越して来たのかはわからないが、爺さんは自分自身を傷つけるつもりだったんだ。誰も知り合いがいない、この街で。
「いつか使おうと思っていた。だが使おうと思うたびに、生きていれば良いことが残っているかもしれないと考えていたのさ」と爺さんは付け加えた。
「そうだよ。良いことが沢山残っているに決まっているじゃん。だって爺さんは良い人だもん。いつもニコニコ笑っているし。なあ、翔」
翔が「そうだよ」と頷く。
「私が笑うようになったのは最近だ。君たちが私を変えてくれたんだ。今の私は幸せ者だ。引越してきて正解だったよ」
爺さんは立ち上がって、身体を屈め、ベンチの下を覗き込んだ。それから、ガムテープをゆっくりと剥がすと、鞄の中からタオルを取り出した。そして、ナイフをタオルでぐるぐる巻きにして、汚れたガムテープと一緒に鞄の中に押し込んだ。
「さ、いつもみたいに楽しい話をしようよ!」
僕が言うと、ようやく爺さんが笑った。これから、もっともっと爺さんが「引越して良かった」って喜んでもらえるような友情を築いていけたらいいな。
(了)
最初のコメントを投稿しよう!