【短編】金刺繍の青色乙女

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 その国には悪習が存在した。 〝最も貧しい子供は国を守っているとされている精霊に仕えるため、毎日人里離れた社に赴き、お供え物と掃除をしなければならない。これに任命されてしまった子供は学校に行くことも無く、友人と遊ぶことも無く、ただそれだけをし続けなければならない〟 この悪習に従って選ばれた一人の男の子。彼の名は〝ムメイ〟彼に家族は居なかった。 毎朝彼は起きると他の子がしているように学校に行く準備ではなく、社へと向かう準備をする。お供え物と自分のご飯を抱えて家を出ると、道を外れて森の中へ分け入っていく。  社はムメイの国と隣国との国境領域に存在し、古代からそこは〝精霊が守っている〟と言われているため不可侵であり、どちらの国の領土でもない。  国で何か悪いことが起きた時、それは精霊の仕業。さらにその精霊が人々に悪いことをするのは仕えた人物が粗相を働いたからであるとされている。  過去にその責任を取らされる形で何人もの子供たちが群衆の目の前で処分されてきた。彼らは墓も立てて貰えず、名前も消され、いなかったことにされてしまう。  だからこそ、ムメイは何も知らない。  社へ着くといつものように扉や窓を開け、中に風を通す。社とはいうものの中には何かの像や絵などのそういう信仰の対象物は存在しない。ただ木で作られた一部屋だけある建物である。  隅に置いてある掃除用具入れから箒を取り出すと床を綺麗に掃き、そして井戸から水をバケツに入れると干してあった雑巾を手に取って床面を拭いていく。  なんてことない作業。真面目にやれば10分もかからない。  作業が終わると縁側のような場所に腰を下ろして風景を眺める。誰も入ってこない領域。緑が生い茂り、動物や鳥、昆虫が動いている気配だけがそこにある。  彼は毎日の作業が終わってもすぐに家に帰ろうとしなかった。どうせ家に帰ったところでやることなんか無い。ただ、精霊に仕えるためだけに存在し、ただ、それをやるためだけに生きている。  だから、とてつもなく一人で、とてつもなく暇な時間が多い。  そんなある日、陽気が良かったのか縁側で居眠りをしてしまった。その時、不思議な夢を見た。ムメイがコンコンと部屋の壁を叩いて周り、音が変わった場所の中に何かが埋まっている夢だった。  目を覚ましたムメイは周りを見渡した。見た夢が気になってしまった彼はコンコンと部屋の壁を叩いて周ってみることにしたらしい。すると夢で見た通り本当に一か所だけ音が違う部分を発見した。  よく見ると綺麗になってはいるものの、明らかに木をはめ合わせて有るような跡を見つけた。 「すごい、夢と同じだ」  小さな手で木の板を少し動かす。するとカタカタとズレる部分を発見した。季節も幸いしたのだろう、梅雨前の乾燥した時期。木が水分を含んでいない。 それを何回か繰り返していくと徐々に木の板が手前に外れ始めた。  パコっと音がして木の板が外れ、中を覗き込むと本が数冊入っていた。手を突っ込んでそれを取り出すと、とりあえず外に持っていきホコリを払った。 「これ、なんて書いてあるのかな」  一応、両親から最低限の教養として国語と算数を教えては貰っていたが、基本的には文章を読んだりすることがうまくできなかったため、何が書かれているのかが分からなった。 もっと他に何かないかと本を取り出した隙間に箒を突っ込んでガサガサすると「チャリン」と金属音がしてムメイの足元に転がってきた。 「お金だ」  出てきたのはごくわずかなお金だった。出てきたお金を見つめ、しばらく何かを考える。やがて何かを思いついたのか本を元の位置に戻し、直ぐに外せるように軽く木の板を戻すと町へ戻った。  町の片隅にある自分の部屋のような場所へ行くと机の引き出しからハンカチを取り出し、それで口を隠すように覆い、フードを被ってまた外へ出た。  向かった先は貧しい人たちが集まって来るガラクタ市場。  上流階級の人々が捨てたまだ使える物を売っている。ムメイはそのガラクタの中から有るものを探して回っていた。 「よし、これなら買える」  手に取ったのは初等教育向けの辞書数冊。廃品回収で出されたものが回ってきたのだろう。老人の店主に顔を見られないようにお金を渡すと彼はそのままの足でまた社へ向かった。  元に戻してあった木の板を外し、中にしまっておいた本を取り出して辞書と並べた。 「これが有れば僕にも読めるかもしれない」  それから中に書かれた文字、言葉、文章、文脈をゆっくりであるが確実に読み解いていく。彼自身もびっくりしたのが1ページを読むのに2日以上かかってしまうことだった。しかし幸い彼には時間が沢山あったし、これ以外にすることは無い。いい暇つぶしになると喜んで本を読み進めていった。  月日が流れ、少年だったムメイは徐々に青年に近づくほどになっていた。 そして今日はて特別な日。長い時間をかけて辿り着いた最後のページを読み解く日。 特別な日に特別なことをせず、いつものように辞書を引きながら読み解いてく。  するとだんだんと天候が変わっていき、さっきまで快晴だった春の空はやや曇りはじめそしてパラパラと雨が降り出してきた。  外の変化に耳と鼻を傾けつつ、読み解き進めていく。一行、また一行と進んでいき、ついに彼は最後のページを読み解いた。その瞬間、意識は遠くへと消え去り、暗闇の中へ消え行った。 「・・・・・」  目が覚める。いつもの社の部屋。いつもと変わらない・・・・  と思ったのだがその部屋にはある変化があった。 何もないはずで誰もいないはずの部屋に、見事な金刺繍を施した青い服を着た乙女が正座して座っていたのである。 部屋の中心に正座し、目を閉じた乙女はムメイが起きるのを待っていたのだろう。動揺しているムメイに向かって目を閉じたまま言葉を放った。 「国の住人は遥か昔に心の色をなくし、ただ唯一の物だと信じ込まされた一握りの彩を取り合うことに必死になってしまった。何とも悲しい事よ」 「-しかし」  乙女は片目を開けると少し微笑んだ。 「やっと、期待の風が吹いてきた」  何のことだかさっぱり分からないムメイはただキョトンとして乙女の方を見つめることしかできなかった。けれどそんなことお構いなしに乙女は言葉を続ける。 「私はね、ムメイ。君がここに初めて来たとき、そしてその前からずーっとここに座り続けていたんだよ」 「・・・ってことは」 「私が国の者たちが言う所の〝精霊〟」  ずっと居た、精霊は居た。長い時間誰も見つけることが出来なかったけれどここに座り続けていた。他の人には見えないけれどムメイにはその存在が眼前に有る。おそらく、というよりも確実に読み解いた本にその秘密があるのだろう。そう思って読み解いた本に手を伸ばした。  けれど乙女がたしなめる。 「君の推察は間違ってる、その本を読み解いたから私が見えたんじゃないよ」 「えっそうなんですか?・・・・じゃあいったいどうして」 乙女はムメイの手を掴んで部屋の外に出た。いつの間にか日が落ちて夜になっていた。 「君に見せたいものが有る」 「ん」  乙女は少しかがんでムメイに背中を見せた。 「あの・・・なんでしょうか?」 「わかるだろ?おんぶだよ。乙女が差し出した背中だ、早く乗りたまえ」  ムメイは促されるままに背中に乗った。すると乙女は立ち上がって前方の山を指さした。 「あっちまで跳ぶよ」  その言葉の後に膝を曲げて勢いよくジャンプすると2人の体は空高く飛び上がり、そのまま放物線を描きながら遥か向こうに有った山の中腹へと着地した。 「これ、なんだかわかる?」  指を指した先に有ったのは何の変哲もない木だった。 「いえ・・・さっぱりです」 「今の君なら声は聴くことができるかもしれないね。木の幹に耳を押し当ててごらん」  言われるがままに耳を押し当て目を閉じる。すると木の振動に合わせてなにかが聞こえてくる。 「・・・・寝息?ですかこれは」  聞こえてきたのはか細い寝息だった。一定のリズムを取りながら確かに聞こえてくる。 「そう〝彼〟は今起きていない。私よりも少し昔にキチンと人々に忘れ去られてしまった精霊」  忘れ去られた精霊はこんな感じで眠りについてしまうらしい。眠りというより自然の物が守るという表現の方が正しいのかもしれない。 そしてムメイは思い出した。こっちの山は隣の国が管理することになっていたということ、そしてだから入ってはいけないと役目を貰った時、役人に教えて貰ったこと。 「悪習だろうが、なんだろうが、結局何かを残すためには、何かが犠牲になるってことですかね」  これを知ったムメイはそう呟いた。 ムメイは生まれてから今まで何を感じていたのだろうか。自分の人生を犠牲にして精霊に仕えるという役目を貫き、見えた景色。そして今、目の前にはその役目を貫けなかった誰かが描いたもう1つの風景がある。 「・・・私は、うれしいけどね。バカみたいな悪習だけど仕えてくれて。仕える人がいなくなった彼はこうやって眠っているし」  乙女はまた同じように背中を差し出すと元の場所へと跳んだ。 「さてと」  乙女は社の中に置いてあった辞書を手に取った。もうボロボロで所々文字が掠れている。 「もう、この辞書は君に必要ない。だから君に授けないといけない」  辞書を強く握って乙女は目を閉じる。すると金色の光を放ちながら辞書は徐々に形を変え、金色の筆に変化した。 「君、服脱いで」 「え?」  突然言われたその言葉に動揺を隠せなかったムメイは自分の来ていた服をギュっと握り、乙女の方を見た。 「別に何もしないよ。いいから」  そういうと乙女はやや強引に上着をはぎ取った。 「そこに座って」 「・・・はい」  上半身を裸にされ部屋の真ん中に座らせる。その姿は何か悪いことをして反省しているようにも見える。震える背中に手を添えると乙女は持っていた金色の筆で背中に模様を書き入れていく。 「君にとって辞書は光。そして読み解いた本は闇。ならば光は君の中にあるべきだ。私がそれを沈着させなければいけない」  見事な手つきで背中や肩、腕。そして足に模様を描いていく。その模様は金色に光り輝き、ムメイの中に溶け込んでいく。  模様を描き終わると今度は赤い布を取り出し、それを体に巻き付け始めた。巻きつけられた布は最初やる気のない感じで垂れ下がっていたが、金色の輝きを受け取ると服に変化し、ムメイの体に合わせていく。 「よしよし、これでお揃い」  出来上がった姿はまるで乙女の青い服と同じ形になった。模様も似ている。唯一違うのはその服が赤色で出来ているということだけだった。  そしてまたさっきと同じように乙女はムメイの手を引いて外に出る。 「今度は君が乗せてくれよ。この国を見渡そう」  そういうと乙女は勝手にムメイの背中に乗って催促した。何がなんだか分からなかったが、ムメイはさっき乙女がやっていたように膝を曲げる。 「あー、違う。君の場合はそうじゃない。羽ばたく感じをイメージして?」  言われるがままに羽ばたく鳥をイメージする。すると体についていた金色の模様が背中から生え、次第に見たことがある形へと変化した。 「黄金の翼だ・・・」  ひと羽ばたきすると体が浮き、もうひとつ羽ばたくと体は天高く昇っていく。 「すごい・・・鳥になった気分」 「気分、じゃないよ。君は本当に今、鳥なんだ」  空から下を見るとムメイが生まれ、住んでいる町が見える。灯りがちらほらと見えてそこに住んでいる人たちの生活を感じることが出来た。  その夜景を目にしたムメイは呟く。 「・・・・綺麗ですけど、全然美しくないですね」 「そうだろう?だから君には私が見えてるんだ」  乙女は夜空を指さした。 「このままどこかへ行ってしまおうか。構わないだろう?」  この国の人々は既に心の色を失ってしまっている。そして最後に残っていたムメイという存在も粗末に扱われ、忘れ去られようとしている。  精霊を掴み、精霊と会話が出来る最後の存在。  その存在のことを人々は「希望」と呼ぶのかもしれないけれど、その存在は今日、金色の翼に乗って町を去ろうとしている。 「さて、それに気が付くのはいつになるだろうか」  少しだけ笑みを浮かべた乙女はムメイを促し いつまでも名の無い2人は夜空へと消えてしまった おしまい。
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