エイプリルフール

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「わたしね、本当は宇宙人なの」  付き合ってほぼ1年になる彼女がそう言ったとき、ぼくは少しも驚かなかった。なぜなら今日は4月1日。一年で1日だけ嘘をついてもいい日だからだ。日本で「エイプリルフール法」が制定されてからこの種の嘘が巷でよく聞かれるようになった。やれ、実はアラブに油田を持っているだの、ヨーロッパに城を持っているだの、そういう壮大な嘘をつくやつが一定数いる。おいおい、そんなすぐにバレる嘘をつくなよ、という冷めたスタンスを取るのは寒い。そういうときには全力で乗ってあげるのがいい。 「そうか、それじゃあご両親への挨拶は宇宙船に乗っていかないとね。いっそ結婚式は地球じゃない場所で挙げる?」 「本当? うれしい!」  ぼくが彼女の嘘に乗ってあげると、とびあがらんばかりに喜んでくれた。実際、彼女の大きなリアクションのせいでテーブルの上のレモネードが少しだけこぼれたが、彼女はそれにも気がついていないようだった。もともと彼女と結婚する話は進んでいた。先月プロポーズとぼくの親への挨拶は済ませているので、あとは彼女の親への挨拶だけだ。今まで実家はどのあたりか?と聞いても「遠いところ」としか答えなかったのはきっとエイプリルフールの「仕込み」だったのだろう。 「宇宙船ならうちにもあるのよ。手頃なのが一台。ほら、あんまり大きいと目立つし、着陸もむずかしいじゃない? ママなんていつもこすって大変なんだから」 「ママの気持ちはわかるよ。車体が大きいと扱いが難しい。ぼくはSUVの話だけど」 「問題はいつ来てもらうかなのよね。たまたま今地球の近くに来てるみたいなんだけど、これを逃すと次はいつこれるか」 「だったら今夜はどう? ちょうど晴れてるし、満月で明るいみたいだからさ」 「本当に? 信じられない! じつは今夜が条件的にパーフェクトなの。すぐに連絡するからちょっとまっててね」  言うなり彼女はカフェのテラス席から立ち上がってどこかに電話しはじめた。このあとは二人で映画館に行こうかと思っていたけどとくに面白い映画もやっていない。予定もできてちょうどよかったかもしれない。しかし、本当に誰かと電話しているとしたら相当仕込みに手間暇がかかっているな、とのんびり構えていた。  すると、「時間と場所が決まったわ」と言って座標を言うのでぼくはあわてて携帯の地図アプリで調べた。時間は日没とのことで、その時間までにそこにたどり着くには今から出ないと間に合わない。場所は山奥の何もない場所だった。 「さあ、早くいきましょう」と急かすように手を引く彼女をなだめ、店員さんに支払いをしてからカフェを出た。  場所が山奥なのでぼくが運転して二人でその場所へ車で行くことになった。車内でも彼女のエイプリルフールネタがずっと展開された。彼女は別の銀河からきたことになっているらしい。家族構成は、両親と弟。銀河間ワープ機能がついた宇宙船を2台持っていて、1台目のローンを払い終えたあとですぐにパパが2台目の宇宙船をママに相談なしで買ったせいで離婚の危機が訪れたということだった。ローンは20年。でもパパの頭の中では古いほうの宇宙船を長男である弟にゆずり、ゆくゆくは新しい宇宙船でママと二人夫婦水入らずで旅行する予定なのだそうだ。宇宙船をキャンピングカーやヨットに置き換えれば、そういう富裕層もどこかにいないでもないだろうな、と思えた。  山奥の道を苦労しながら進んでいき、ようやく指定の場所についた。うっそうとした森のなかで、そこだけ木がなくなって拓けている。地面には草むらが茂っていた。あたりはうっすらと暗くなりつつある。 「ここだよね」とぼくが尋ねると、彼女も「そのはず」と少し心配そうな顔をしている。  もしかしたら仕掛け人が本当に来るのか不安に思っているのかもしれない。それもそのはずで、後ろをついてくる車はなかったし、あたりには誰も見当たらない。エイプリルフール法ができたのは、あまりに多くの人がエイプリルフールに派手な嘘をつくせいで事務処理の手続きが間に合わないからだ。その日に契約されたすべての契約、始まった訴訟のすべては無効になる。その日のことは全部水に流そうというわけだ。  もちろんぼくも彼女の嘘は全部水に流そうと思っている。これからのんびり帰って家で一緒に夕飯を食べるのだ。それとも帰りにレストランに寄ってもいいし、何か買ってもいい。そう考えると急にお腹がすいてきた。「じゃあ帰ろうか」と言おうとしたそのとき、空から一筋の光が迫ってくるのが見えた。 「来た。あれよ」  彼女はそう言って大きな声で空に向かって手をふった。突然猛烈な風が吹き始め、光はぐんぐんちかづいてくる。飛行機ともヘリコプターとも違う、何か別の原理で動いている巨大な物体だ。ぼくは大きな口を開けたままそれが近づいてくるのをただ黙って待つしかなかった。この日交わされた約束はすべて無効。そのルールは果たして宇宙人にも通用するだろうか。強烈な光に包まれながらぼくは自分の体が宙に浮かんでいく初めての感覚を感じていた。 了
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