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合唱曲の選定 ――インストゥルメンタルの逆襲――
「みなさん、今日のホームルームでは、合唱コンクールで歌う曲を決めたいと思います。なんでもいいので、歌いたい曲を挙げてください。その中から決めたいと思います」
六月下旬。外では、しとしと雨が降っている。きっと、紫陽花の葉の上では、蝸牛がのそ~っと這っていることだろう。
そんな憂鬱な時期だからこそ、音楽の話をして気を紛らわしたいと思う。
音を楽しむと書いて音楽。だから、楽しむことが正義なのだ。
十一月初頭に行われる合唱コンクール。市民ホールに市内の小学生たちが集まり、その歌声を披露するというイベント。課題曲というものはなく、歌う曲は自由。生徒たちがどう思っているかは知らないが、私は楽しみだ。
「先生」
一人の男子生徒が手を挙げた。
「はい、Aくん」
Aくんが起立する。
「なんでもいいんですか?」
「ええ。教科書に載っている歌だけではなく、ポップス、ロック、演歌、アニメソング、ボカロ曲等々、なんでもどうぞ」
歌う曲のジャンルに規定らしい規定はない。なんでもいいのだ。もし、楽譜が存在しないのなら、私が起こしてあげる。小さい頃からピアノを習っていたから、音感には自信があるし、学生時代にはカラオケデータ作成のアルバイトをしていた。だから、どんな曲でもウェルカムだ。
「ぼくは、ザ・スクェアの『トラヴェラーズ』がいいと思います」
「え……?」
ザ・スクェア。後にT-スクェアと改名したフュージョンバンド。楽曲はインストゥルメンタルばかりで、この『トラヴェラーズ』も例外ではない。
まさか、歌のない曲が、それもいきなりくるとは思わなかった。
「あの……Aくん?」
「はい」
「この曲には歌詞がないですよね」
「…………」
「ですので、合唱コンクールで歌う曲には、できません。ごめんなさいね」
私がそう言うと、Aくんは「わかりました」と言ってから着席した。
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