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嘘つき
立ち眩みが起きそうなほど暑い夏の午後。新村信二は自身がついた嘘に後悔しながら、バス停にじっと立っていた。
どうしてあんな嘘をつくいたずらに同意したんだろう。
考えても答えが出なければいいのに、信二は思ったが、嘘をついた理由は明白だった。やっとつかんだ内定が消え去って、会社の中で針の筵のまま過ごす時間を受け入れられなかっただけだ。
彼はまた自分を呪いながらため息をつく。
おおよそ1ヵ月前のエイプリルフール。信二は同僚の新村夏美に、デートの申し込みをした。
「あんたたち、苗字が一緒だし、夫婦になっても困らないでしょ?」
ケラケラと笑う教育担当の長谷田に、飲みの席で言いつけられたこと。
彼女曰く、イタズラ、だという。
「イタズラがイタズラだって分からない事務員なんて、いらないわ。どうせ夏美がいなくなっても変わりはいるでしょ? 今なんて、事務員の募集をしたら、何十人と応募が来るんだから」
新卒の信二には、なんとも言えなかった。
長谷田は会社でも古株らしく、誰も彼女の振る舞いを制限しない。
漫画の中にしかいないような人物が目の前にいることも、信二は嘘であってほしかった。
もっと、もっと、嘘であってほしいのは。
信二からのデートの誘いに、夏美が頷いたこと。そして今日、デートをするということ。
せめて夏美が断ってくれたら、長谷田の矛先は夏美に向いたのに。
そんなことを考えてしまう自分があさましくてならず、信二は再び落ち込んでいく。
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