抜擢

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 安藤宗重ら京見廻組の各隊は早々に帰京した。  「帰ってきたのは良いが、人使いの荒いことだ。」  宗重等はぶつくさ文句を言いながら草鞋を脱いでいた。  「恭平。」  宗重はそこから奥に向かって声を上げた。  「湯は湧いておるか。」  奥から、ハイ。と若い声が聞こえ、まだ少年と行ってもよい若者が。手桶にお湯を入れて駆けて来た。  「儂の足を洗え。」  皮足袋までを脱いだ宗重は少年に向け、横柄に足を差しだした。  「指の股まで綺麗に洗うんだぞ。」  宗重は身体の後ろに手を着き、思い切り腰を伸ばした。  それを見ながらも、少年は振り向き様に土間に手を着き頭を下げた。  「何をしておる。」  宗重はその少年を呵った。  「大義でおじゃった。」  そこに鬼木元治を連れた中御門経衡(なかみかどつねひら)が入って来た。  「中御門様・・・」  その二人を見て、宗重はまだ濡れた足を揃えて框(かまち)に座り、頭を下げた。  「本日はまた何用で・・・」  「労(ねぎら)いと、無心に参った。」  無心・・・その言葉に宗重の顔色が変わった。  「無心とは言っても、金のことではおじゃらぬ。」  経衡はいつものように扇を口に当てて笑った。  「では、路銀としていただいた金はどのように・・・」  宗重の関心はあくまでも金にしかなかった。  「各隊、金五を返しなされい。後はよしなに・・・前村殿には話をしておく。」  その言葉に宗重の顔は気色に変わった。  「ところで、無心とは・・・」  「侍をもらい受けたい。」  侍・・・宗重は首を傾げた。  「庭から掛け声が聞こえているようであるが・・・」  「剣術馬鹿の桜井嘉一(さくらいかいち)でございましょう。」  「その者、明朝御庭廻組の詰め所に来るように伝えよ。」  それから、経衡は歩を詰め所に向けた。  「宜しいのですか、腕を見もせずに。」  元治は軽く笑った。  「経衡様はどの程度の手練れをお望みで。」  「出来れば死んだ村田善六ほどの腕は欲しい。」  「そうそうはいますまい。」  「それでも菊池や相良より上であって欲しい。」  それならば・・・元治はまた笑った。  「そんなに弱いかあの二人は。」  元治はそれに頷いた。  「どちらが上だ。」  「菊池殿の方がまだましかと。」  「では、明日からは相良も一緒に連れて参る。」  「何故・・・」  「使い走りにその方を使う訳にもいかぬからな。」  あと僅かで詰め所というところで、  「おっと、忘れておりました。」  突然元治が言った。  何を・・・義衡は怪訝そうに元治を振り向いた。  「一人忘れておりました・・手練れを・・・」  「あの中に居たのか。」  経衡は驚いたように声を上げ、  それは誰だ・・・と続けた。  「安藤殿の足を洗っていた少年でございます。」  なんと・・・思わぬ言葉に経衡は驚愕の声を上げた。  「あの小童(こわつぱ)がか。」  「あの者、背中で我等の気配を感じました。  それだけでなく、京見廻組ではない者が入って来たのを聞き分けました。」  聞き分けた・・・  「はい、帰って来た者の跫音は全て草鞋(わらじ)の音。私の跫音は草履(ぞうり)。それを聞き分けました。  そして・・・」  そして・・・経衡は完全に聞きにまわった。  「すぐに振り向き土下座した。」  何故だ・・・  「私は草履、そして貴方様は沓(くつ)・・沓と言えば高貴な御方が履くもの・・・あの者はそれを聞き分けました。  つまり・・・」  つまり・・・  「全身に神経を行き渡らせ、全ての気配を悟ろうとしています。」  「それはあんな仕事をして居るからではないのか。」  「そうも言えますが、あの身のこなしはただ者ではありません。」  「名は聞いたか。」  「聞き忘れました。」  「明日試してみよう・・・すぐに市之丞を走らせる。」  そのように・・・元治は静かに頭を下げた。  名前は聞いては居ないが、安藤宗重がきょうへいと呼んでいたようだと云われた。  なんで俺がこんな使いっ走りのようなまねをしなければならん・・・市之丞は不平たらたらで京見廻組の屯所に向かった。  翌朝、桜井嘉一という侍と、件(くだん)の少年が詰め所に現れた。  「俺が相手してやるよ。」  相良市之丞が桜井嘉一の前に立った。  「止めておいたがよくはありませんか。」  勝負の見届け役を務める元治がそう言った。  何を偉そうに・・・市之丞はぺっと地に唾を吐いた。  それからそれ程間を置かずに、市之丞は地に手を着いていた。  「鬼木・・・」  縁の上から、義衡が手招きした。  何でしょ・・・元治は縁の上を見た。  「見届け役は左内に任せて、こちらに来ぬか。」  「お言葉ではございますが、お断りいたします。  奥村殿には次の者の相手して貰わなければ成りませんから。」  「それ程か。」  元治がそれに頷く頃には菊池主水の介も地に伏していた。  「奥村殿、少し準備はしなくて宜しいでしょうか。」  元治は、経衡の隣に座る奥村左内を見た。  「少し素振りをしてこよう。」  「細貝恭平。」  元治はその間に少年を呼び込んだ。  「その方、剣は持たぬのか。」  「持たせていただけません。」  「故郷から出て来る時には、剣は持ってなかったのか。」  「持ってはおりましたが、まだ早いと取りあげられました。」  「誰に」  それには恭平は答えなかった。  「その方の刀は・・・」  「お待たせし申した。」  そこに奥村左内が現れた。  「始めて宜しいでしょうか。」  元治は顔を上げ経衡を見た。  始めよ・・・経衡は強い声を上げた。  奥村左内と細貝恭平は蹲踞の姿勢から、一気に後ろに跳び退いた。  細貝恭平は臍の前に柄尻を置き、その剣先はピッタリと奥村左内の喉元に向けられている。  対する左内は珍しく大上段に構え、その剣先は天を突いている。  そうか・・・経衡は自身の膝を打った。  恭平は十六歳と聞いた、歳の割には上背がある・・多分、五尺七寸はあろう。それに対して左内は世間並みの五尺四寸ほど・・・自身を大きく見せるために大上段を採った。  経衡はそう考え、庭の対戦に目を凝らした。  だが、経衡の期待に反して二人は動かない。じっと相手の動きを待っている。  自分の力では動かせない・・こちらから動けばその隙を突かれる・・・左内はそう考えた。  一方、恭平は・・・  大きい・・構えが大きい・・あの構えから剣がどう出て来るのか・・・それが読めず手が出せずに居た。  あくびが出るぜ・・・市之丞は隣の主水の介に二人に聞こえる様に話しかけた。  そんな声にもかかわらず、相変わらず二人は動かない。  初春の冷たい空気の中、左内は脇の下に汗が流れるのを感じた。  対する恭平は背中にびっしょりと汗をかいていた。  「そこまで。」  四半刻を過ぎた頃に、元治の声が庭に響いた。  「チッ・・面白くもない・・なんだったんだ。」  市之丞は悪態をつき、主水の介に同意を求めた。  しかし、主水の介はフーッと息を吐いただけだった。  「面白い仕合でございました。」  いつの間にそこに来ていたのか、国立清右衛門が経衡に声を掛けた。  当の二人は・・・大きく息をついて木刀を降ろしていた。  左内は、振り上げた木刀を大上段に保持し続けた二の腕が、プルプルと震えていた。  恭平は、じっと剣先を掲げたままの姿勢で肩を凝らしていた。  「引き分け。」  再度、鬼木元治の声が響いた。  「仕合とは面白いものじゃ。」  夕食に左内を呼んだ経衡は悦に入っていた。  「いつか、長禄二年の御前試合のようなものを麻呂も催してみたいものじゃ。」  そう言って経衡は酒をぐっと飲み干した。
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