カラオケボックス

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カラオケボックス

 リオは歌う事が大好きだ。  当然カラオケも大好きだ。  上手いと言われるが、自分ではそうとも思わない。  小さい頃からピアノを習っていたので音感は良いだろう。   音を外さないで歌う事は難しくはない。でも、歌にはその人だけしか出せない味がある。  リオは自分の歌にはその味がないと思っている。  リオは皆と歌う時には結構気を遣う。歌う人たちに合わせて、曲をかえたり、順番が一通り回るまでは自分が歌いたくても談笑して我慢したりと、誰にでもできる事だとは思うのだが、思う存分歌う事はできない。  せっかくカラオケに来ているのに、歌わない人たちの気持ちが良くわからないというのが正直なところだ。  リオは採点システムを使いたいのだが、大勢で行くと、大抵の人は採点システムを嫌う。時間がかかるから。というのだが、だったら話してなどいないで歌えばいいのに。とまた思うのだった。  リオは採点システムでの得点は自分の得点は勿論気にはするが、他の人が採点が低い事があっても下手だとは思わない。得点がものすごく高い人は素直に上手いと思えるのだが。  その人なりの味が出せていれば点数が低くても聞いた後の感想はなかなかに良い歌を聞いたと思えるからだ。  時間が空くと、リオは一人カラオケに行く。  自分の歌の味を求めて。後は思う存分歌うために。  耳コピした曲などは間違えて覚えていることも多いので、採点システムを使って歌うことにしている。  思いのほか採点が低い曲はガイドボーカルを付けて歌うと間違っている箇所に気付くことができるから。  さて、今日も一人カラオケに来たリオ。  いつものように歌い放題の時間無制限で。アルコールが入ると音程が狂うのでドリンクバーで。  お腹がいっぱいになると上手く呼吸ができずに思う存分歌えないので朝一番にご飯を食べた後は、歌い終わるまで何も食べないで。  カラオケボックスにしてみれば、最低限のフリードリンクのみで終わってしまう儲からない客なのだった。  フリータイムの始まる午前10時にお店を訪れ、会員番号を告げて、自分の好きな種類のカラオケが入っている部屋に行く。  最初のドリンクを取りに行くが、ドリンクもカロリーが気になるので、無糖の炭酸か、お茶のみだ。  さぁ、一人カラオケの始まりだ。  まず最初に〇-ミンの曲を次々と入れていく。  知っている曲も多いし、どれも好きな曲なので次々と入れていくと、〇ーミンの曲だけでも3時間ほどがあっという間に過ぎてしまう。  次は〇上陽水。音程が低めなのだが、年を重ねるとともに、低音が出しやすくなってきたので、良く歌う。  中学校の頃から大好きなのだ。  そう。リオは今年還暦を一つ過ぎた年齢。  フォークソングが流行ったドストライクの世代なのだ。  でも、スピッツは大人になってから好きになって、ある程度の数は歌える。  途中、自分のペースで飲み物を取りに行く。  一人で来ていると、この、飲み物を取りに行く時に、荷物などが心配なので、ウエストポーチに荷物を全部入れて、ドリンクバーやトイレに立つ。  さて、入店してから6時間ほどが過ぎ、夕方4時。フリータイムは18時までなので、もう少し。最後のドリンクを取りに席を立った。  部屋に戻ると誰か座っている。  部屋を間違えたかと思ったが、今日何度も出入りしているのだ。間違えるはずがない。  一度ドアを閉めたが、もう一度ドアを開けて、その人物に部屋を間違えている旨を伝えようとした。  ドアを開けて驚いた。  人かと思ったのだが、なぜか大きなぬいぐるみがいる。 『??さっきまでなかったよね??』 「まぁ、入りなよ。大丈夫、大丈夫。」  ぬいぐるみがしゃべった。  大丈夫と言われると、決して大丈夫ではない気がする。 「聞かせてもらってたよ。隣の部屋でね。上手だね。でも、それだけだ。」  リオは自分が気にしている事をズバリと言われて、ドキッとした。 「そ・・そんなことは分かってるよ。でもそう言う風にしか歌えないんだよ。」    ついついぬいぐるみに反応してしまった。  これ以上心を傷つけられないうちに店を出よう。  上着だけが部屋に取り残されているが、取りに入る勇気はなかった。  会計の時に店の人に取ってきてもらおう。  リオが部屋を出ようとすると 「教えてあげるのに。君の歌の味」 「え?どうやって?だって、声はストレートにしか出ないし声の質に特徴があるわけでもないし。」  ついまた、反応してしまう。 「う~ん。そうか。そんなふうに思ってるわけだね。  でも、それで正しいと思うよ。  君の声は真直ぐに出せる。それはなかなかできないんだ。みんな力んだりこねくったりして声を真直ぐに出すのは難しいんだぜ。  声の質は特徴があればいいってもんでもない。それこそ、その人の声帯だもんな。  君の声は真直ぐに出ているけれど揺らぎがほんの少しだけあるんだよ。それが君の歌の素敵な味なんだと思うけどな。  みんな、君の歌が上手いというけれど、それは音程があっているだけだったら、最初の一小節で上手いっては言ってくれないだろうね。  不思議な揺らぎが君の声をとても素敵にきかせるんだと思うよ。」  ぬいぐるみは一気にしゃべりまくると、肩で息をし始めてぐったりしてしまった。  リオの歌う部屋は喉の乾燥を防ぐため、エアコンの冷房の温度が結構高めなのだ。  リオは、今言われた事にも驚いたけれど、ぬいぐるみがぐったりしたのにも驚いた。 「ちょ・・ちょっと・・・」 「おい!何やってんだ!」  リオの後ろから更に第三者の男の声が。  リオが驚いて振り返ると、カラオケ店のエプロンをつけた店員さんだった。 「イベント始まるぞ。降りて来いよ。  あ、すいませんね。こいつ、あなたの歌のファンでね。監視用カメラで定期的にあなたの部屋が写ると聞きほれちゃって仕事にならないんですよ。  あ、でも、あくまでも監視用カメラで、盗み見をしているわけではないですよ。何か失礼がありました?」  そういいながらぬいぐるみだと思っていたものの首をスポンと抜いた。  リオはいつも外から覗かれても見えないように部屋の照明を落とし気味にして歌っていたので、着ぐるみをぬいぐるみと間違えたのだった。  よく見れば、どこかでみたようなキャラクターの着ぐるみだった。  午後のフリータイムの前に、貸し切りのキッズルームがついている部屋で何かイベントがある予定だったようだ。  着ぐるみから出てきた顔は、なんと、同じアパートに住む隣のおじさんだった。  アパートの一階がお酒の飲める小料理屋なので、何度か一緒に流れでカラオケに行ったことがある。  でも、そういうときはカラオケボックスではなく年齢的にもスナックに流れるので、まさか、このおじさんとカラオケボックスで会うとは思わなかった。   それも従業員とは。いや、年齢的にアルバイトか。  呑んで歌いに行っている時に、上手いと褒められたのにリオが愚痴でもこぼしたのだろうか?  エプロンの店員さんに引きずられるように出て行った隣のおじさんは、あんなにヘロヘロになってしまってイベントができるのだろうか?  リオは少し心配になったが、ともあれ、さっき言われたことを頭に置いて、自分の声を聞きながら、もう何曲か歌って帰る事にした。  もう、一通り歌ってあるので、後は〇だ まさしや、やはり大人になってから好きになった〇ただ ひかる の歌を歌おうと思った。  そこで思い出した。〇ただ ひかるは揺らぎのある声だって聞いたことあったなぁ。うん。たしかに、あの切なそうに聞こえると思っていたのは揺らぎのせいか。  声の揺らぎ。という言い方を聞いたことがなかったので自分の声をよく聞きながら〇ただ ひかるを歌うと、あぁ、確かに。似せようとすると自分の声が揺らいでいる箇所が良く分かった。  これが揺らぎかぁ。  リオはようやく見つけられた声の揺らぎに感動して、その日のぎりぎりまで歌い、カラオケボックスを後にした。  もう、あまり大勢でカラオケに行くこともなくなっているが、リオは自分の声にも味があることがわかったので、これからは余計な事を考えずに、自分の持っている声で、楽しく歌おうと思うのだった。 【了】      
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