西島香澄

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西島香澄

私は西島香澄、都内在住の高校1年生。 高校も都内の高校に通っている。 共学で普通科の私の高校は、進学校でそこそこ頭の良い学校だった。 部活はしていなかった。 入ってみたい部活はあったにはあったけど、家庭の事情とか色々あって入らないという決断に至った。 家庭の事情というのは、私はママと2人きりの家族だった。 つまり、うちの家庭は母子家庭でママはシングルマザーだった。 ママとパパは私が小学2年生の時に離婚した。 私の記憶の中のママとパパはとても仲が良くて、別れるような夫婦では決してなかった。 ちゃんとした理由は聞いていないけど、ママはパパを責めるようなことも悪く言うことも1度もなかった。 私はパパが大好きだった。 とても優しくてカッコいいパパがものすごく好きだった。 仕事から帰って来たパパは絵本を読んでくれたり、一緒にしまじろうのDVDを観てくれたり、おままごとに付き合ってくれたり、いつもいつも遊んでくれた。 休みの日はパパとママと私の3人で色んなところに出掛けた。 遊園地や動物園、山にピクニックに行った。 パパとの思い出は良いものばかりで、忘れることは出来なかった。 ママとパパと一緒にいられるのが幸せだった。 ずっと続くと思っていた。 ずっと続いて欲しいと願っていた。 でも、その願いは儚くも崩れ去った。 私は小学2年の時、体調を壊して病院に救急搬送されたことがあった。 数日間、意識が戻らなかった。 意識を取り戻しても、色んな検査をして退院するのに2週間はかかった。 そして退院して数週間ぶりに家に帰るとパパはいなくなっていた。 突然パパは私とママの前からいなくなった。 何日も何日も待ったけど家に帰ってくることはなかった。 1年経っても2年経っても何年待っても帰って来なかった。 ずっとずっと待ったけど私の前に現れることは2度となかった。 パパがいなくった直後は寂しくて悲しくて思い切り泣いた。 涙が止まらなくて泣いてばかりいた。 立ち直れなくて学校を何日も休んだ。 入院していた時間を合わせると1ヶ月以上学校に行けない期間があった。 私が立ち直るのには、ものすごい時間を要した。 今でも立ち直った訳ではないし、パパを忘れた日など1日たりともなかった。 そして、パパがいなくなってからパパと連絡を取り合うことは叶わなかった。 会いたくて会いたくてパパがいつも帰ってくる時間に駅に迎えに行った。 休みの日には隣町までパパを探しに行った。 9年経った今でも出掛けた先ではパパを探している私がいる。 街を歩いている時も行き交う人をパパじゃないかと目で追っている私がいる。 パパがいなくなってから毎月のように私宛にプレゼントが送られてくるようになった。 しかも私が欲しい物や必要としている物が送られてきた。 送り主は書いていなかった。 でも直ぐにパパからだとわかった。 きっとママから私が欲しい物や必要な物を聞いて買ってくれたんだと思う。 でも、私はそれがパパからだとは決して口にしなかった。 ママが悲しむから。 だってママはあの日からパパのことは私の前では1度たりとも話題には出さなかったから。 私を思ってのことだったのかもしれないし、ママ自身がツラかったからなのかもしれない。 私もパパがいなくなって悲しかったけど、私以上に悲しくツラかったのはママだったに違いない。 私よりも長い時間パパと一緒にいて数え切れないくらいの思い出がある。 互いが世界で1番大好きで大切な人だったのは言うまでもない。 私だってパパはママと同じくらい世界で1番大切な人。 だからママの気持ちがわからない訳じゃない。 それ故に私もパパのことをママの前では口にするようなことは1度もなかった。 それでもパパが私を忘れずに、こうして9年間も絶やすことなくプレゼントをしてくれていることが嬉しかった。
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