ほろびのうた

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ほろびのうた

 私が空き教室に入ると、となりの音楽室からピアノの曲が聞こえてくる。  もしかしたら既存の曲かもしれないけれど、私は知らない。  何の曲かは知らないし、調べようとも思わないけれど、私は隣から聞こえるその曲が大好きだった。  私の心をつかんで離さない何かが、壁越しに伝わってくる。  澄み渡る透明感。世界の一部をそのまま切り取ったような表現力。手に入れられるようで絶対に手に入らない寂しさと歯がゆさと、幸福感。  曲にはすべてがつまっていた。  私は美しい音色をなんとか自分のモノにしたくて、毎日、空き教室で歌い続けている。  太陽の温かな光が、空き教室をふんわりと照らし続けている。  もう誰も足を運ぶことのなくなった古びた校舎の空き教室が、私のステージであり、練習場所だ。  隣から聞こえてくる曲に合った表現で歌い続ける。いつしかそれが私の日課となっていた。  音楽室に誰がいるのかは知らないし、調べようとも思わないけれど、私はピアノの主が大好きだった。  だからこそ、ピアノの主を大切に大切に扱ってきたつもりだ。  どこぞの昔話のように、正体がバレてしまったらいなくなってしまうかもしれない。  私にとって、大好きな曲が聴けなくなってしまうのが一番怖いから、不要な詮索は絶対にしない。それが自分自身に課した約束事だ。  ……もっとも、歌声が注目を浴びてしまい、プレッシャーを感じて歌えなくなくなってしまった私と重ね過ぎているだけかもしれないけれど。  昔はどんな発表会でも、テレビの本番でも、全然平気だったんだけどなぁ、とぼんやりと過去を思い出す。  いつの間にか歌えなくなって、いつの間にか権力を避けるようになって、いつの間にか、空き教室に逃げ込むようになっていた。  私が逃げるたびに話を聞いてくれたクラスメイトはもういない。私はひとりだけとなった。  私の卒業した学校で、今は廃校だ。もう誰の声を聞くことはなく、朽ちてゆくだけ。  だけど私にとってはたくさんの思い出がつまった、最高の場所だった。  ある日のことだ。  校舎の老朽化が進み、建物の一部が潰れてしまった。  足を運ぶたびに崩壊が大きくなっているようで、気付けば建物の三分の二程が通行出来なくなっていた。  無理に歩こうものなら床が抜け、怪我をしてしまうだろう。  人のいなくなった建物は、驚くほど早く劣化が進む。そして、誰にも止めることは出来ない。  そろそろ私の空き教室も潰れてしまうかもしれない。  そう危惧したが、空き教室に居座り続けたのは単純に――音楽室の主もまだ、居座っているからだ。  ピアノの音色が聞こえる限り、今日も歌おう。  私は大きく息を吸ってから、音楽室方面の壁へと向き直った。  私の歌は届かなくて構わないけれど、あなたの存在で救われた人がいるということだけは、いつか伝わりますように。  声を出すその瞬間――おそらく、「最後」が訪れた。  それはあまりに突然のことだった。  単純に、朽ちてしまったのか。  はたまた、私たちから漏れる「音」が影響してしまったのか。  空き教室と音楽室を隔てる壁が、大きな音とともに崩れたのだ。  大好きだった私の幸せな空間は、ただただ埃臭いだけの空間となり果てる。  音楽室の主は無事だろうか。私はあなたがいないと生きていけないのに。  慌てて壁が抜けた音楽室へと足を進ませ、そこで気付く。 「絶対に詮索しない」という自分自身の約束事を破り、音楽室へと来てしまったことに。  もくもくと広がっていた埃が収まった頃、私は「主」の輪郭を見た。 「やっぱりキミだった」  私が言ったのか、相手が言ったのか。もしかしたら音になっていなかったかもしれない。  ピアノ周辺の床には丸く結ばれた太い縄と、人間一体分の骨が転がっており、太陽の光を浴びて輝いて見えた。  誰にも一切汚されていない、美しい白だ。  対して私の骨といったら、細くて貧弱で、更に腰の部分が大きく曲がってしまって格好がつかない。  白髪が散らかり、土のついた杖が転がっている。  果たして、相手にどう映っているだろうか。 「私の同級生にさ。すっごくピアノが上手い子がいたんだけど、大人たちに期待され過ぎたかなんかで行方不明になっちゃって。  ――キミなんでしょ? やっぱり、ここにいたんだね」  私たち、大人から妙に期待されてしまって、たくさん逃げ回ったもんね。 「私はずっと、キミに会いたかった」  まさか、こんなところで一人、死を選んでいるとは思っていなかったけれど。  カタカタ……という小さな音が次第に大きくなり、私はハッとする。時間切れだ。  気付いたときにはもう遅い。校舎の全ての天井が、一瞬で落ちてしまった。  校舎の名残は、もうない。 「私たち」が瓦礫の下敷きになってしまったのを、半透明の体からゆっくりと見下ろした。  こうなる運命になるとは薄々わかってはいたが、いざ本当に潰されてしまうと、少しだけ寂しくなった。  だが―― 「これでもう、誰にも見つからなくなった」  ――お互いに、好きなものを極められる。  誰かに値段をつけられなくて済む。よくわからない「偉い人」の言うことを聞かなくて済む。  得意分野を嫌いになるまで強制されなくて済む。 「繊細っていうのも困ったもんだよね。上手くやれればよかったんだけど。人間、完璧には作られてない」  けれども、繊細過ぎて歌えなくなっていた私が、最期まで歌うことが出来たのは「キミ」のおかげに他ならない。 「キミも同じ気持ちなら、嬉しいんだけどね」  そうだ。  せっかく終わりを迎えるのだから、二人の合作である――歌で締めようか。 曲のタイトルはわかりやすいものにしよう。  大丈夫。どうせ私たちは、誰にも見つからないのだから。
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