大日本帝国陸軍戦闘機

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大日本帝国陸軍戦闘機

日本陸軍といえばどんな印象があるだろう?貧乏っちい?戦車が貧相?全く興味がない?飛行機が有名だろうか? 97式戦闘機。中島飛行機(今のスバルの前身)で作られた。海軍の96式艦戦とともに格闘戦の得意な飛行機で、この2機種をもって日本の航空業界は世界と肩を並べた。ノモンハン事件ではソ連軍の戦闘機を圧倒し優秀なことを証明した。当時の話として10対1位なら勝ってきたらしい。これはパイロットの錬度が強く影響しているようだ。武装は当時としては標準的だが、終戦近くまで使われたので火力不足に苦しんだ。 一式戦闘機 隼 戦中の日本で一番有名な飛行機。設計時の性能要求に97式と同レベルの格闘能力を入れて、その上航続力、速度、その他ありとあらゆる欲張った内容だった。で、中島飛行機の設計者が持ちうる全ての技術をつぎこんで完成させたのだが、無理な要求のために設計にも無理が出た。翼の取り付け強度が不足してしまい、補強をすると翼に機関銃が入らなくなってしまった。そのことが原因で戦争後半には火力不足になったが、それでも終戦まで使われた。互角に戦えたのはP40やスピットファイアの初期型くらいだろう。 二式戦闘機 鍾馗 しょうきという神様の名を戴いた中島飛行機の戦闘機。この時期日本軍は格闘能力に対して極端にこだわっていたのだがそれを捨てて迎撃専用機を開発採用した。機体の設計は非常に良く、後の雷電に比べても先見の明があった。さらに大火力、大出力を目指していくべき機体となったが、部隊側からはそれほど好まれなかったようでマイナーな機体になってしまった。しかしその血は疾風に受け継がれ、見事結実したのである。迎撃専用機なので比較は難しいが、Bf109E位の実力はあったと思われる。 三式戦闘機 飛燕川崎重工が作った戦闘機。陸軍は相変わらず目茶苦茶な要求をしてきたが、設計者が高速性能と格闘能力を見事なバランスで組み合わせた傑作戦闘機。日本機は全般に急降下性能が悪い(強度不足)が飛燕は800kmでダイブできた。火力も日本機としては大きく、十分アメリカ機にも通用した。がトラブルも多かった。ベンツのエンジンをライセンス生産したがこれが手に負えなかったのである。故障が多くて稼働率が低く、遂にエンジンの生産が追いつかなくなって生産は打ち切られた。エンジンの間に合わなかった機体は、五式戦闘機としてリサイクルされこちらも活躍した。
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