序 懐かしの世

2/5
120人が本棚に入れています
本棚に追加
/319ページ
 東京都品川区にある私立明京大学。  倍率は優に二十倍を越え、合格率10%の超難関にして超名門校である。  この大学の四年生で剣道部部長根室恭輔は来る大会の為に、このむし暑い八月に剣道場に後輩や同級生達と向かっていた。 「あっぢ~」  早朝でも汗ばむ暑さに、手扇で気をまぎらわせようとするも無駄だと悟った後輩の一人が、抑揚のない口調でだれていた。 「うっせぇなぁ涼太。んな事言ったら余計暑くなんだろうがよアホぅ」  根室が窪田涼太を小突いた。 「だってですねぇ~」  まだ何かぼやく涼太を部員の安達晋太郎が後ろから首ロックした。 「ちょっ、まっ、ぐ、ぐるじい・・・・・・ギブギブ」 「りょ~たぁ? 次言ったらサウナに五時間缶詰な」 「え゛ぇ~やっすよ~!」 「じゃあだぁーってろ」 「分かりましたよぉ」  情けない顔になった窪田は今は洗濯されたぬいぐるみのように襟首を掴まれて宙ぶらりんにされていた。 「はっはっは! やっぱお前はそれが似合うな!」 「あ゛~、山下先輩ヒドいっすよ」 「涼ちゃん可愛い♪」  涼太は先輩の山下陽二にからかわれ、同級生の樋山麻衣子に頬擦りされたりと散々だった。 ヒュン、ヒュン───  窪田が風を切る音に気づいたのは、剣道場が眼と鼻の先に見えてからだった。 「んあ? 誰だぁ? こんな朝っぱらから練習してる奴ぁ」 「んなはずあっかよ。あれ以来朝練禁止になってんだから」  根室と安達がそんなことを話している間も、風を切る音は剣道場の開いている窓から途絶えることはなかった。  どうやら樋山や窪田も気づいたようだ。首を傾げてきょとんとしていた。 「誰かなあの時決めた約束に違反した人は? 違反者にはあんなことやこんなことがあんのに・・・・・・・・・」  根室が不気味に笑うのを、部員は身震いして見ていた。  剣道部が朝練を禁止したのは、三年前に当時一年生だった剣道部のホープが不慮の交通事故で死亡したからだった。  部室に近づくにつれて、風を切る音は大きくなっていく。根室は悪笑しながら袋に入っていた竹刀を取り出した。 「誰だ! 約束を破った奴は!」
/319ページ

最初のコメントを投稿しよう!