赤いサンダル

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目が覚めると私は見知らぬ駅のホームにあるベンチに座っていた。 とっさに辺りを見回す。 誰もいない。 視界に入るのは見慣れた暖色の電車だけだ。 私はその電車の行き先を確認しようと立ち上がった。 しかし、普段行き先が表示されている銀色の枠の中には、ただ赤い板が挟み込まれているだけだ。 私は多少の違和感を覚えながらも、吸い込まれるようにオレンジ色の電車に乗り込んだ。 この電車に乗り込めば家へ帰れるのではないかと考えたわけではなかった。 その時の私は日常生活の事など頭の片隅にもなかった、と考えるのが自然だろう。 今まで生活していた街とか、友人とか、家族とかは水面に浮かび上がる気泡のように私の心の深くから浮き上がり、意識に上がると途端に生温い空気に溶け込んでしまった。 電車の座席はボックス席になっており、深い青の固そうなクッションで覆われている椅子が向き合っているのみだ。 吊革などは特に見当たらず、少しくすんだ鈍色の網棚が西日を反射させ、控えめに輝いていた。 私が乗り込んだのは先頭の車輌だったようだ。 私は進行方向の右手側の一番手前の座席の窓際に腰掛けた。私が腰を下ろしても椅子は軋みもせず、無言で私を迎えた。 格別、いつも通勤に使っている電車と違いはない。 しかし、私の見知らぬ背景と、目を瞑れば吸い込まれていきそうな程の静寂が、異世界に足を踏み入れてしまったような錯覚を私に起こさせるのだった。 私は暫く目を閉じ、辺りに耳を澄ましていた。 風のざわめきも、木の葉が擦れ合う音も、小鳥のさえずりさえ、聞こえてはこなかった。
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