3 常にそこに在るもの

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パパジ  この状態の中で、それは燃え尽きたロープのように見えても、ロープとしては使えない。つかもうとしても、縛ろうとしても、あなたの指からこぼれ落ちていくだけだ。   質問者  わかりました。それで何かを縛ってみましょう。   パパジ  何も考えずにいなさい。ただあるがままのあなたでいればいい。瞑想は続いていく。それはその仕事をするだろう。瞑想は絶え間なく続いているのだ。わかるかね? あなたはそれを見つけただろうか?   質問者  ええ、見つけました。   パパジ  それが瞑想だ。   質問者  興味深いことに、ある種の知覚が、ある特殊な知覚が起こっているようなのです。   パパジ  そうだ。それが私の語っていることだ。それが瞑想なのだ。だが、それは努力を要しない。ある種の集中は起こっている。だが、それは内面でも外面でも、いかなる対象もつかまない。あなたはいかなる対象物にもしがみついていない。それに気づいたかね?   質問者  いいえ、ただ瞑想のように感じられるだけです。何が起こっているのか、自分でもよくわからないのです。   パパジ  (笑いながら)そうだ。それが真の瞑想なのだ。通常、心は何らかの感覚的対象物にしがみついている。だが、この瞑想では何にしがみつくこともない。この中には意識というものが存在しないからだ。意思が存在しないとき、絶え間のない瞑想が続いていく。あなたは何らかの変化を感じているに違いない。心は静かだ。この状態では、瞑想せずとも静かになる。違いに気づいているかね?   質問者  ええ……感じます…私は知識です。   パパジ  それが私の言っていることだ。あなたはその何かを知っていた。それはあなたが以前から知っていた知識なのだ。いかに瞑想し、いかに座るか。知識はそこにあった。それが戻ってきたのだ。   質問者  私は何もしていなかったのです。座ることも、瞑想もしませんでした。   パパジ  これが自然な瞑想なのだ。あなたがそれを「する」のではない。それは何か、常にそこに在るものだ。それは「サハジャ」と呼ばれ、「自然」を意味する。これがサハジャ瞑想なのだ。   質問者  サハジャ?   パパジ  サハジャ瞑想だ。これは自然な状態だ。
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