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    *  あれは、そう、小学校に上がって間もない頃だった。交通安全のお守りを貰いに、神社へと父親と二人で出かけたときのこと。その神社は山の上にあって、辿り着くまでにはそれなりに長い階段を登ることで有名な神社だった。そのせいか、近くの学校の運動部がトレーニングに来ることも時たまあるらしい。  登りは、何ともなく、順調だったの。疲れたけど。問題は、お守りを貰った、その後。下りてみて分かったんだけど、実はその階段、勾配が結構急で、身体の小さい私にとっては一苦労だった。階段は登りより下りの方が辛いっていうのは、確かに合ってると思う。で、悪夢が起こったわけ。お父さんと取り留めのない話をしていて、私は石段を踏み外した。滑って後ろに転ぶのならまだ良かった。背中を打ち、後頭部を打つだけだから。でも私の場合、階段が歪んでいたとか、歩幅が短すぎたとかの事情が重なって、前のめりに派手に転んだ。腕で頭を守ったのはいいものの、そのまま勢いを殺さず前転、バランスを崩して横向きになったと思ったら、そのまま一番下までごろごろ。歩道に投げ出され、慌ててお父さんが駆けつけてきた。全身打ち身、おびただしい数の擦り傷・切り傷。私は「大丈夫」とか言った(その直後に大泣きした)けど、実は思ったより大変だったことが帰ってから判明した(命に関わるとか、障害が残るとかはなかった。距離が短かったからかも)。消毒液のしみる痛みによって。  無病息災のお守りも貰っとくべきだったな、というのは、後日談の笑い話。でも、この出来事は私に「高所恐怖症」というトラウマを植え付けることとなった。  でも実際は「階段恐怖症」だった。それも、下り限定の。  それは、上る分には何ともないけど、下りになると底知れぬ恐怖に包まれ足がすくみ、立てなくなるというもの。  挙げ句の果てには泣いちゃって、周りの人を困らせたこともしばしば。運が良かったというのか、私が入学した小学校はバリアフリー思想によってエレベーターが設置されていた。というわけで、私は特別にそれを使わせて貰っていた。  中学に上がってもそれは同じ。登りは階段を使い、下りはエレベーターを使う。奇妙だと言われることは慣れっこだった。  階段恐怖症を克服しようとは思わなかった。あの人に会うまでは。
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