九州三家

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1578年の日本。その頃九州では、島津、大友、龍造寺といった九州の有力大名が凌ぎを削っていた。中でも大友家は【大友宗麟】が家督を継いでから勢力を拡大させ、九州随一の大名家となっていた。その理由としてキリスト教の信仰を許可し、外国との貿易を盛んに行った事があげられる。宗麟は宣教師を手厚く保護し、日本だけでなく外国の情勢にひどく関心を示しており、日本で初めて【国崩】という大筒兵器を使用した大名としても有名で、外国の技術を次々に取り入れ自分の戦術を広げていくところから【九州の織田信長】と呼ばれる事もある。そしてその大友家を支えた勇将として【戸次鑑連(立花道雪)】【臼杵鑑速】【吉弘鑑理】といった豊州三老と呼ばれる優秀な家臣がいた。 優秀な家臣と外国貿易の力を借りて九州統一を目指し、南九州の雄【島津義久】を降すため1578年宗麟は自ら五万の兵を率いて島津領日向国に進攻した。そしてこれが大友家崩壊の始まりだった。
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