主よ、人の望みの喜びよ

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 慎治との付き合いを、歩が一番知られたくないであろう相手に知られるに至らしめた罪は重い。せめて歩が高校を卒業するまで、あるいは歩が歩の意思で兄に話す事ができるようになるまで、十も年上の大人として、もっと取るべき態度はあったはずだ。 『大人の責任』  その言葉が、慎治に重くのしかかる。  ――覚悟決めてたんだろ、俺。  震えそうになる身体。ゆっくり深呼吸をして、拳を握り直した。 「分かりました。弟さんにはもう会わないと、伝えます」  真っ直ぐ野田を見詰めてはっきりと、答えた。野田が拍子抜けしたように瞬きし、表情を緩める。 「では、それで」 「一つだけ」  ほっとしたのか、小さく溜息を吐く野田に、慎治は言葉を重ねた。 「……何ですか」 「歩が、この事について自ら口を開いた時には、必ずその言葉をちゃんと受け止めてやって下さい」  ――歩自ら話す時はきっと、歩が考えて出した結論を告白する時だから。どうか、オニーサン、歩にとって何よりも大切な存在に、歩が否定されないように――。 「言われるまでもありません」  コーヒー代のつもりだろう、テーブルに千円札を置いて野田が立ち上がった。慎治に対抗するような目で、慎治を見下ろした。 「歩の事は、俺の方がよく分かってます。……あなたなんかより」  それでは、と形ばかりの会釈を残して、野田は踵を返した。 .
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