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星のない夜に真っ黒な海に浮かんでいるような感覚。どこが上でどこが下なのかもわからない。一条の光も射し込まない闇。
――どのくらい時が経ったのか、意識がうっすらと浮かんできた。体も次第に感覚を取り戻しつつある。
そして、闇がひけた。
遠い日の記憶がよみがえる。
陶磁器のように白い肌をした母が、幾つもの機械を身にまとい、カプセルの中に横たわっている。最後の微笑みを残し、母は養液に包まれた。
白衣を着た父が腕時計のようなリストバンドを差し出した。
生命維持装置のモニター。
母を身近に感じられるようにと腕にはめてくれた。いつでも来たいときに尋ねてこいと父は言った。自分たちはここにいるからと。
長いエレベーターを昇るあいだリストバンドに光る赤いライトをじっと見つめていたのを覚えている。しかし、そのエレベーターを再び下りることはなかった。
四八時間後、地響きと大地のうねりが長期睡眠治療カプセルに入った母と研究員の父の暮らす大深度生活実験施設をも飲み込んだ。
未曾有の大地震は東京湾ウオーターフロント地区を中心に関東一面を襲った。
東京は、わずか数分で壊滅した――
震源地を遠く離れていた彼がその事実を知ったのは母と同じカプセルに横たわったその時だった。ジオドームは壊滅したという囁きが耳に滑り込んできた。
薄れ行く意識の中で彼は身を起こそうともがいた。しかし睡眠導入剤の効きだした体は言うことを利かない。
彼は隣のカプセルに目をやった。そこでも同じことをしている人の姿があった。
二人の真ん中にある小さなテーブル。
意識が遠くなる。父が冗談で言っていた言葉が頭に浮かぶ。たとえ大地震が来てこの施設が潰れてもこのカプセルだけは無事だと。
それが現実になった。
止めどなく流れる涙が養液に溶けていく。
その四つの瞳がテーブルの上に置いてあるリストバンドに釘付けになる。
血のように赤い光は消えてはいなかった。
一つの望みを胸に二人は永い眠りについた。
記憶が薄れ、そして消えた。闇はもうすっかり晴れ、彼は意識を取り戻した。
その直前、頭の中に聞き慣れた声が響いた。
(時間みたいだ)
(ん…起きよう)
養液が排出され、カプセルが開く。
彼らは二〇年ぶりに顔を合わせた。
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