第1章。『現状』

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〔1〕 月日が経つのは早いもの。『光陰矢の如し』は年を重ねるに連れてますます加速する。卓司も更に2つ年を重ねてもう40歳を迎えていた。そして、寒さも和らぎ始め、各地の梅の木に蕾が芽生え、桜の話題がそろそろニュースに上がろうかとしている頃、卓司の事務所ではちょっとした騒動が起きようとしていた。 2月末の週明け、事務所に電気が点いている事を確認してクリーム色の扉を引く。 「おはよう」 「所長、おはようございます」 「相変わらず、早いね」 椅子に座った美弥は手櫛で肩まである髪の毛を梳いているところだった。 「もうこちらへ来て4年、何もない夜の生活にもすっかり慣れまして……」 「何、それ?」 口の両端にうっすらと笑みを浮かべる美弥。 「いえ、別に深い意味は……ただ、夜は寝るものだと最近しみじみ感じているものでして」 皮肉たっぷりな言い様である。 「そう、美弥ちゃんは福島県民全てを敵に回そうと言うんだ」 「滅相もございやせん。ただ、田舎の夜は早い、という事を遠回しに言っただけでして……」 「まあ、聞かなかった事にしておこうか」 卓司はそう言って笑うと最近の日課となっている美弥との立ち話を終え、グレーのコートを脱ぎながら窓際の自分のデスクへと向かう。そして、コートを壁のハンガーに掛け、どっかりと黒い背もたれの長い椅子に腰を下ろす。 「どうぞ」 「ありがとう」 熱いお茶を手にするも美弥は丸い銀のトレーを胸に抱くようにして目の前にまだ立っている。普通ならお茶を置いてすぐに自分のデスクに戻るのだが。 「今日は……何もないんだったよね」 「今日もです。2月に入ってから仕事らしい仕事はしてませんよ」 美弥の頭にうっすらと角が2本見えた気がした。難事件を解決して警察関係での評判は上がってもそれが仕事に全くと言って良いほど反映して来ない。これが悲しい現状である。 「警察の報奨金だって高々1000円ぽっちだし……このままじゃ、事務所は潰れてしまいますよ。あたしの結婚資金や老後はどうするんですか」 美弥の小言はまだ続きそうなので逃げた方が良かろうとお茶もそこそこ椅子から立ち上がる。 「じゃあ、どれ、オヤジの所に行って何か仕事がないか聞いて来ようかな」
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